『天国』/千湖

 母さんの実家は遠野で、代々農家。昔は馬も飼っていたそうだ。おじいちゃんとおばあちゃん、二人暮らしだったけれど、ある日、おばあちゃんが心臓発作でぽっくり逝ってしまい、脳梗塞の後遺症のあるおじいちゃんが残されてしまった。一人にするわけにもいかず、東京のわが家に引き取ることになった。
 年寄りは生まれ育った土地から引きはがすとボケるっていうけど、おじいちゃんもそうで「畑仕事があるから」と徘徊するようになってしまった。それで、夜は家中にスペシャルの二重鍵を掛けて、おじいちゃんを外に出られないようにしたんだ。
 おじいちゃんは、家の中をうろうろと歩き回り、朝になるとソファやキッチンの床にウンコまみれで寝ていることもあった。
 ある晩のこと、音がするので見に行くと、おじいちゃんはまっ暗ななかでテレビを見ていた。もう放送も終わって、灰色の砂嵐になっていた。
 そこにふいに、モノクロの古い映像が映った。草だらけの昔の川の風景だった。半裸の少年たちが、馬を洗っていて「そごで何すてるんだ。早ぐ来ーい」と呼びかけてくる。すると、おじいちゃんは「ああ、いま行ぐがら」とすうっと立ち上がり、そのままテレビの中に入っていってしまった。
 まさか、と目をこすってみると、画面は相変わらずの砂嵐。おじいちゃんはソファで寝息を立て、ぼくは毛布を掛けてあげた。
 おじいちゃんが死んでいるのを見つけたのは、次の日の朝だった。ソファで、そのままの姿で、微笑みを浮かべ、息絶えていた。
 テレビに映っていたあの場所が、有名なカッパ淵だと知ったのは、遠野に納骨に行った時だった。おじいちゃんは、カッパに引き込まれて、あの世に行ったんだろうか。それとも少年たちの遊ぶあの川が、おじいちゃんの天国なのだろうか。