『いらねの滝』/虹かずい

 息子の手を掴み、無言のまま土の斜面を登る。水音は、はっきり聞こえている。私は、ちら、と息子を見下ろすと、いっそう強く手を握った。
 この子を今日中に。私の頭にあるのはそれだけだった。前妻との間の子。こいつがいると、あの女は私と結婚しない。
 眼前に滝が開けた。私たちが深い滝壺を見下ろすと、ぬめ動く水面の下で、流線形をした巨大な陰影がびしゃっと跳ねた。
「ここ?」、「怖いか」
 短い問答の後、息子は押し黙り、顔をあげ、私を見ながら左の口元だけを裂いた。
 見透かしているような顔。私はそれが嫌いだった。
 東北の小村。そこで生まれ育った私は、父から、ここが“いらねの滝”だ、と教えられた。あの日のように、水底から貪欲な眼光たちが這い上がってくる。
「要らねものができたら、ここに来ればいいんずや」
と、父は言い、じっと滝壺を見つめていた。あの日の父が私に変わり、あの日の私が息子になった気がした。“があ”つうんだ、と父は、あの日、教えた。父は、よく知らなかったのだ。が、私は父よりは物知りになっていた。
 外来魚アリゲーターガー。ワニの牙と鎧のようなウロコ、3メートルもの巨躯を持つ獰猛な古代魚。それが今、歓喜に舞い踊りながら、生贄の到来をまちわびている。
 ここ? とまた息子が訊く。ああ、と私は応える。息子は首を振り、私を見上げ、これから自分を殺そうとする男の顔をまっすぐに見た。
「おじいちゃんがおばあちゃんを殺した場所も、ここなの?」
 知っていたのか。奇妙に分別くさいその顔を見ながら、私は、息子をエサに変えるため、その首に手をかけ、力を込める。