『よそ者のおよばれ』/君島慧是

 みちのくというと、まず渦巻を思い浮かべたものだった、と能面作家のSは言った。Sは都下に工房を構えていたが、良い木の育つ会津にいずれ越す予定だった。ところが何かで訪れたこの地が気に入ってしまい、幸い誂えたような物件との出合いもあって、青森八戸の奥に移り住んで七年になる。家に遊びに来たのはこれがはじめてだ。美人の奥さんは料理上手な人で、特にそば粉と小麦粉の生地を薄く伸ばし三角に切って茹でたものに、ニンニク味噌をなするつまみがやたら旨く箸が止まらない。その味噌の皿にそばのビラビラで渦を描いて、みちのくの奥が渦の先だなんて単純すぎるが、どうにもその思い込みから抜けられなくてな、とSは続けた。知っているところを廻っているはずがちょっとずつズレていて、どこかの核へ近づいていくような気がする、暮らし始めてからもその心持は覆らない、むしろ強まったねと、味噌渦を描いた灰色の襞を鬚面の口へバクンと送る。
 いまだに近くの森や山での散歩で十回に一度は、似たような道を廻りながら実は違うところにおり、元いた場所に最短距離で戻ろうとするのだが、もうその道がわからなくなっている、という。近い場所を歩いているはずが、実は見当違いの遠いところをウロウロしているそうだ。何度も行っているはずの目と鼻の先でこんなことがあるから困る、それで暗い森のなかで途方に暮れていたりすると、渦巻の筋がある石を見つけたりするものだから余計に堪らない、と豪快に笑った。
 渦巻はでてこないが、これに似た話をよく沖縄で聞く。不意に、その場所と時間の核心へ近づくが、正体がわかるほどには近づけない。――ヤマトにとっての外の国には、どうもそんな趣がついて回るねと二人で唸った。
 精妙な古の面にも渦があるのだそうだ。Sはにんにく臭い息で、ハットリくんのとは違うぞ、と慌てた。吸いこまれるように人が見つめ、舞台が飲まれる渦である。