『ふたり沼女』/添田健一

 貞任山の大沼で魚を釣るときは気をつけろ、とガキの頃からおじいにはよく聞かされていた。「欲しいより多く、獲っちゃなんねえだ」欲ばると罰があたるだ。
 そのおじいも腰を悪くして、魚釣りはおらの日課となった。沼にフスマを撒いて魚を寄せる。おじいの教えどおりに家のものが食べる十匹を釣ったら、まんま引きあげる。
 ある朝、おじいが眠ったまま起きなかっただ。死んだんではないらしいす。おばあは、寝かせておけ、とこともなげにいう。
 その日、十匹魚を釣ってから、しまったと思っただ。おじいは眠っている。急いで魚籠の一匹を返すさ。
 すると、沼の水面がむくりとあがり、全身に泥土をまとっただけの細すぎない裸の女の半身があらわれただ。目はこぼれんばかりに大きくて、唇も赤くふっくらしていたさ。長い髪を垂らし、体のそこかしこにも頬にも髪にも沼の泥がついている。けったいだが、お姫様みたいだ。しかし、なにものなんだ。
「いつもフスマをありがとう。物見山にいくことはあるかしら」鈴の鳴るような声。
 あ、あるけんど、とおらは答えただ。
「ならば、物見の大沼に届け文をおねがい」後手にまわした髪から文を取りだすた。思わず、おらはうなずいていたさ。
 その足で物見の沼にいったが、だれもいないだ。手を三回叩いて。教えられたとおりにする。さっきとそっくりな泥まみれな裸の女の半身があらわれる。文を渡しただ。
「届けてくれたお礼にいいこと教えてあげる。この山のてっぺんに饅頭笠のような雲がかかったら、田植えをはじめるといいわ」
 うちに帰ると、ちょうどおじいが目をさましたところだったさ。ふたり沼女の話をすると、おじいはふたつの沼は土の下でつながっちょって、ふたりは姉妹だといって笑った。おらも笑った。
 明くる年、うちの田は豊作になったす。