『水郡線』/よいこぐま

 まだ国鉄の時代。

 祖父は駅の助役をしていた。茨城県の水戸と福島県の郡山を結ぶ水郡線の「磐城塙」という駅で働いていた。水郡線の真ん中あたり、雪はあまり降らず、冷え込むと風花が舞った。

 夜中でも貨物列車が通るので、泊り込みの夜勤もしばしばあった。駅員たちは炊事場で自ら夜食を作った。うどんを茹でたり、ごはんとおかず一品の簡単な料理がほとんどだったが、しんと静まり返った駅舎の中で食べる夜食は、不思議と染み入るようにおいしかったと言っていた。


「藤井さんと言う人の作るうどんはうまくてねえ」

 とっくに亡くなってしまったが、と言って思い出すような目をする。

「藤井さん」

 祖父は声をかけた。一人で夜勤に出ていた夜、炊事場から水音が聞こえた。

 何かをざっと洗う音。水を切る音。藤井さんだ、と直感した。
 もうこの世にはいないはずの。

「藤井さん」

 もう一度呼ぶと、水音は止んだ。そしてひっそりとした気配も消えた。恐る恐る確かめに行くと、炊事場は闇に沈んでいた。
 仲間の駅員たちも同様に、夜勤中に水音を聞くと言っていた。

 あれは藤井さんなのかね。

 そうだとしたら、もう一度あのうどんを食べたいね。


 ひゅうっと一筋の風が通り抜けた。行ったことのない夜の駅舎を思い浮かべる。

 耳のすぐ近くでうどんをすする音が聞こえた気がした。

 祖父ももう、とうにこの世にはいない。