『海坊主』/桜井涼

 海坊主というのは、海の底に寺社を構える坊さんのことなんだと思っていた。幼い頃のことだが、海を眺めるのが好きだったわたしに「あんまり見てると海坊主に認められるぞ」と祖父はよくからかったが、坊さんに認められるなら良いではないか、むしろ海中の寺社なら喜んで見に行くのにと考えていた。
 だが、今、わたしの前にいる海坊主と名乗るものは限りなく海月に似ていた。というよりも海月だった。しかしその身体にはれっきとした骨があるらしく、ぽよんとした半透明の頭を持ちながらも砂の上にきちんと立っている。くりっとした大きな目が二つあり、比較的小さな口で方言混じりに話している。他の足より太く平べったい二本の足を腕のように動かしてもいる。
「すんまへんね。言葉、ましてや日本語なんてキュー随分使ってなかったはんでキュー聞きにくし、分がりにぐかもけど、勘弁してね」
「はあ……」キューという音はイルカの鳴き声に似ていた。
「しかしあんちゃん、夜中に海水浴とはキュー季節違いなんと違う? キュー。しかもあんな荒れてキュー岩の多い場所で。わしが通りかからなかったら死んでたね」
 わたしが沈黙していると、海坊主は見透かしたふうに言った。「まあ、それがキュー目的だったみでだんどもねキュー」
 海坊主は妙なイントネーションと東西入り混じった方言で続けた。
「自殺はいけんよ。って言っても今は何も聞けんね。わしが辛酸を理解出来るといっても卑屈に受け取るだけさんね」
 違うとは言えない。だって相手は海坊主、否、海月なのだ。
 そして最後に海坊主は「わしとのことを形にしたらええね」と言い、「けけけけけけけけけけ」不気味な笑いを残して海に戻って行った。