『仙台北方の「七」にまつわる伝承』/もーりぃ

 蝦夷と呼ばれる人々がまだ宮城県一帯にいた頃のことらしい。ある夏、百尺はあろうかという生き物が村に現れた。姿かたちは蜘蛛のようだが、足が六本しかなく、大きさを考えても蜘蛛とは呼べない。本来ならば人間と接触することなどなかったのだろうが、今年以上のめったにない猛暑で、森から出てきたのだろう。村人は当然、見たことも無い生き物を前に慌てふためいた。だが逃げてばかりもいられない。村を守るために武器で対抗した。しかし巨大な化け物にかなうはずもなく、むしろ化け物を怒らせるだけであった。
 化け物は毒を吐き散らし、多くの村人が死んだ。死に至らないまでも、伏せって動けなくなるものがあまたいた。生き残った村人たちは天に祈る以外、為す術が無かった。
 祈りが届いたのか、突然の雷鳴と共に、稲妻が化け物の体を貫いた。そのショックで六本の手足がちぎれ、七つの残骸となってばらばらに飛び散った。その残骸はあまりにも大きいので、村人たちは死んだ仲間とともにそこにそのまま埋葬した。こうして、七つの大きな盛りができた。埋葬の七つの盛りの上にはいずれにも病を治すと信じられている神が祀られた。この七つの盛りは後に七ツ森と呼ばれるようになった。
 やがて大和朝廷によって蝦夷と呼ばれる人々は征討された。あるとき、盛りに祀られた神も打ち捨てられた。そのとき、その作業にかかわった大和の人間たちの間で不可思議な病が流行り始めた。飲んでもいない毒を吐き、まるで刀で切り落とされたかのように手足や首や胴が七つにばらばらになって死んだ。その話は噂としてすぐ周りの村々に広まった。
 やがてそこは七切り村と呼ばれるようになった。七北田村と呼ばれるようになったのはずっと後のことである。七つの森の頂上には、代わって薬師如来が奉られるようになった。
 仙台北方に伝わる「七」にまつわるこの伝承、伝える人は今は少ないという。