『義経川』/高橋高広

 旧盆に久しぶりに帰郷した私は近くを流れる義経川を上流に向かって歩いていた。
 西の郡境から、山間を縫うように流れる小さな川である。
 あれは夢だったのだろうか・・。そう思いながら川沿いにある細い杣道をひたすら上流に向かう。
 今から十年前の中学三年の夏休みだったと思う。
 義経川を一時間余り遡り、山の懐深く入ったところに、小学生のころから通った魚捕りの秘密の場所があった。
 川に潜るとまるで水族館のように岩魚、山女が尾びれを揺らしていた。
 思いがけない大漁に満足し岩場に横になると、一斉に降り注ぐヒグラシの鳴き声を浴びながら眠りに落ちた。
「グヮオーッ」という凄まじい音で目が覚めた。
 びっくりして上体を起こすと、目の前に大きな熊が両手を上げ、真っ赤な口を開けて立っていた。
 仰天すると同時に、熊の手が上から振り落とされた。
 間一髪で転がりながら攻撃をかわしたが、川に沈んで水面に頭を出すと次の一撃が目前に迫っていた。
 観念して目を閉じた。衝撃は無かった。
 頭の上にドン・・と何かが落ち、水を赤く染めながら流れていったのは熊の前腕であった。
 岩場に視線を移すと、具足姿の武者が血の滴る刀を持ち立っていて、前には頭と片手を刎ねられた大熊が空を仰いでいる。
 私は、目の前の刀で砕かれた岩の亀裂に手をかけ、必死で這い上がった。
 そこからの記憶ははっきりしない。いつの間にか集落の入り口に立っていた。
 私は川を遡上しながら考えていた。
 あの時、かぶとの中の武者の顔ははっきり見えなかったが、熊の腕を切り落とした時に刀で砕けたあの岩の痕跡はあるだろうか。
 その岩場に着いた。ゆっくり歩を進める。
 苔で殆ど埋まっていたがそこに亀裂はあった。
 あれは夢ではなかった。遠い記憶に思いをはせて入る時、背後に何かを感じた。
 振り向くと、あの具足の武者とそれに寄り添う着物姿の女が鬱蒼とした森に消えていった。