いわん『遺伝子』

河童は人間の女性に種を残すが、雪女は人間の男の精を搾り取るらしい。
冬寒い東北の街で、一人居酒屋に入った僕は、店のおやじさんからそんな話を聞いた。なんでも、河童の子を宿した女子からは男の河童しか生まれず、雪女は女しか生まないのだとか。
――ふうむ。そういうことは、河童の精子y染色体のみで、雪女はy染色体を受け付けないって体質なのか。なら、女性でも雪女は伴性遺伝の発現率が通常よりも高くなるな……む、いかんいかん。せっかく学会の論文発表も終わったのだ。こんな日はゆっくりと研究の事は忘れて酒を味わいたい。
「おやじさん、熱燗もう一本」
あいよッ、と元気な声が店内に響く。といっても店内に客はまだ僕一人だった。
「そういや、おやじさん」と熱燗を受け取ると同時に声をかける。
「その雪女ってのは、色の区別がつかなかったり、血が止まりにくかったりするのかね?」やはり気になってしまう。性分だな。
「そんな事知りませんや、お客さん。第一、雪女なんて実在しないでしょうに」
と笑っておやじさんは店奥に消えた。
そりゃそうだよなぁ、銚子一本で酔い始めたのかな。僕は二本目の銚子を傾けた。

ほろ酔い気分で店を出ると、雪の降る中を女の子が歩いてきた。僕の前で止まる。
「おじさん。教えてほしい事があるの」
「どうしたんだい、お嬢ちゃん。こんなに夜遅くに出歩いちゃ危ないよ」
女の子は言った。「赤い提灯のお店に一人でいる男の人に用があるから呼んできて、ってお母さんに言われたの。でも、あたしもお母さんも、赤と緑がよくわからないの」
さっきまでいた居酒屋の入り口には、赤い提灯がぶら下がっていた。
そして、僕は、赤緑色弱だった。