2011-09-16から1日間の記事一覧

国東『おれはお前の還る場所であり続けよう、たとえ月光の書斎を持たなくとも。』

垂れた最初のしずくは落下しながら小さく結晶して机の上で強く跳ね、思わず受けた掌のうえで、ぬめりのある小さな黒い4ツ足の何かが、月光を浴びきちがいじみた産声をあげた。 それは次から次へと口の端を伝い舌を乗り越え転び出て、あっという間、先刻まで…

坂巻京悟『奇壁』

外を歩いていると、不思議な壁が現れるようになった。色は白だったり、緑だったり、紫だったりする。害意みたいなものは感じられないので、すぐ存在に慣れた。 きっと余りにも見渡しが良く、すかすかになってしまったからだろう。人はいつも遮蔽物の中で生き…

佐為 夜一郎『這い出でよ』

「あーっ、気持ちいい!」希は大きく両手を広げて深呼吸をした。 「いいところだね」希は暁の顔を覗き込む。満更でもない表情をした暁はバッグから手帳を取り出し、「こっちだ」と歩き出した。 「どこ行くの?」 「芭蕉って知ってる?」 「知ってるよ。『静…

totukunijunin『かけ声』

「よ〜い、よ〜いとな〜」というかけ声とともにねぶたが一台ずつ出発する。龍、アニメヒーロー、歌舞伎の一場面など意匠を凝らした山車が続く中に、明らかに素人の手作りと思われる小ぶりなものがあって、「いかのおすし」と書いてあるのが目を引いた。 引い…

あまんじゃく『絵の中の池』

出張でしばしば訪れる宮城県T市でのこと。常宿が満室だったので仕方なく泊まったHホテルの部屋には、壁に不釣り合いなほど大きな絵が掛けてあった。まさかお札でもと思いひっくり返してみたが、魔封じの様子はない。絵には蓮を浮かべた池が描かれていて、…

蔦木 嘯閑(つたぎ しょうかん)『添付画像』

「なぁ、知っとぉか?」 友人はそう切り出した。学校が終わった放課後の教室で暇を持て余した彼は徐に話し始めた。 地震あったやろ、あの日。自分もびっくりしたけどな。あの日のメーリスでさ、知らないメールが一通来たんよ。なんや、節電かなんかかと思っ…

村岡好文『潮の香り』

ふっと潮の香りが吹き込んできた。以前にはあり得なかったことだが、町のほとんどが呑まれたあの大津波の日以来、風向きによってはこの山中の一軒宿にも潮の香りが届くようになった。 その客が入ってきたのも、そんな匂いと一緒だった。明日からお盆という日…

湯菜岸 時也『糸の束』

福島県白河で皆既日食の観測にあたり、明治政府は上野から黒磯までしか通じていない鉄道を白河郡山まで開通させました。 明治二十年、八月十九日、日食の日。 鉄道工事の出稼ぎから帰った留吉を待っていたのは、誕生を楽しみにしていた子供と女房の位牌です…

湯菜岸 時也『奥会津編み組細工』

彼は西へ沈む太陽を眺めながら、軒に吊るされた編み組細工を思いおこしていた。 山葡萄の蔓などを組んで作った籠や笊は『寒ざらし』で、雪の上で反射した日光に照らされて象牙のように白くなる。 では自分はどうか? と、彼は考えた。山野に捨てられて早三年…

湯菜岸 時也『猪苗代湖』

猪苗代湖の神社には、猪を飾った山車が奉納されている。なぜ猪なのか? こんな話がある。明治二十年、トモは親戚へおつかいへ行った帰り、気晴らしに寄り道をして湖岸へむかった。まだ八歳のトモは、昨日の事が不安で仕方ない。一人の老僧に水を求められ、茶…

いわん『思い出』

幼い頃の記憶である。 僕の家は、東北地方の片田舎にあり、地元ではそれなりに大きく、お手伝いさんが何人もいるような、いわゆる「旧家」だった。 でも、お手伝いさんの多くは、父や母、親戚を助けるための人たちで、僕の遊び相手にはなってくれなかった。…

いわん『雪質』

東北の冬は妙に寒い。 北海道の雪とは違って重く、吹く風も強く冷たい。札幌の雪は軽くて、そして美しかった。それに引き換え……僕はトラックがはじき飛ばす、雪が溶けた水しぶきに閉口しながら夜の街を歩いた。 寒さから言えば、札幌の方が寒い。でも辛いの…

いわん『遺伝子』

河童は人間の女性に種を残すが、雪女は人間の男の精を搾り取るらしい。 冬寒い東北の街で、一人居酒屋に入った僕は、店のおやじさんからそんな話を聞いた。なんでも、河童の子を宿した女子からは男の河童しか生まれず、雪女は女しか生まないのだとか。 ――ふ…

紅 侘助『再会の海辺』

こんな大時化の晩には、大量のブリコが浜に打ち上げられ、波打ち際を朱に染める。その砂浜を大勢の影が彷徨い行く。 土地の者ではない。水産資源保護のため、浜に打ち上げられたハタハタの卵の採取は、密漁として取り締まりの対象となる。地元漁民が禁を犯す…

紅 侘助『鏡石ノオト逸文』

○土淵村大字五日市の佐々木清吉と云ふ人、オマクに遭う事。 ○オマクとはこの地方にて生者死者の思ひが凝りて出歩くを云ふ。 ○この人、相当の酒呑みにして近郷に知らぬ者なし。徒名を蟒蛇の清吉と云ふ。 ○去る秋に大同の家にて祝ひ事在り。清吉相当に酒を呑み…

紅 侘助『勿来哀歌』

其は怨嗟には非ず、哀願なり。 其は呪詛には非ず、切望なり。 我が切なる聲を聞き届け給え。 大いに時は経り、蕨手の柄に手を掛け汝等に刃を向ける者、弓弦を引きて汝等に箭を放つ者、此の時勢に於いて一人として無し。 逆賊とて悪路王なる字を負わせられし…