湯菜岸 時也『糸の束』
福島県白河で皆既日食の観測にあたり、明治政府は上野から黒磯までしか通じていない鉄道を白河郡山まで開通させました。
明治二十年、八月十九日、日食の日。
鉄道工事の出稼ぎから帰った留吉を待っていたのは、誕生を楽しみにしていた子供と女房の位牌です。父親から死因は妊娠中毒だと知らされて、留吉は天を仰いで嘆きました。
その時――囲炉裏の上にある梁に腰掛けた、見た事もない五歳ほどの少女が、自分に微笑みかけているのに気がついたんです。
「あの娘さ誰だ?」と訊いても、他は誰も見えてないらしく、首を傾げるだけ。
この世のものではないと悟り、留吉は戸惑いました。『娘』は、女房に生き写し。亡くなった妊婦から死んだ胎児を取り出し、二つの棺桶で弔わないと祟ると言い伝えがあります。迷ったなら巫女を呼ばねばなりませんが、女房か? それとも赤ん坊の魂か?
(いや、もうどっちだっていい!)
留吉は孤独に暮らすより、祟られたほうがマシだと自棄になっていました。
でも……。狐か狸に化かされている気もします。なぜなら『娘』が着ているのは新潟で織られる越後上布。そんな紬の着物など女房に与えた覚えがありません。
「んだどぉ、狸か? ん! 越後上布!」
生前、女房が紡いでいたイラクサを加工する『からむし』の糸は、新潟に売られて越後上布になります。もしや『娘』は魂ではなく。糸を紡いだ時に生前女房が思い描いた《幸せ》ではなかったか? 『自分が紡いだ糸で、織った着物を我が子に着せてやりたい』そんな想いだけが、まだ家に残っている。
そう気づいた瞬間。日食が始まり、『娘』の姿が残り香のように消えていきます。
「もぅ、わがんねぇ!(わからない!)」
留吉は糸車の横に置かれたままの糸の束を抱きしめると、大声で泣きました。