池田一尋『アタシダケノカッパチャン』

 義姉が赤ちゃんを出産した。震災に遭った兄さんはもう戻ってこないが、義姉の夢見るような瞳を見て、僕は彼女が幸せの絶頂のひとつに居るのだと確信した。
「素敵な名前をつけたの。登録も済ませたのよ」義姉は微笑んだ。「河童ちゃんよ。あのひとが夢枕に立って名付けてくれたの」
「どういうつもりなの」僕は愕然とした。「役所もそんな名前をよく受理したな」
 義姉がキョトンとしているので、彼女が事態を把握していないのはすぐに知れた。僕はインターネットサイトやマンガを使って河童の存在を彼女に伝えた。
「気持ち悪い」義姉の顔から血の気が引いた。「そんな生物が居たなんて吐気がする」 「心配しないで」僕は震災の夜、廃屋でしたように彼女を背後から優しく包んだ。「河童は想像上の生き物なんだ。空想の産物なんだよ」
「それ、本当?」義姉の瞳に夢見る光が蘇った。赤ちゃんを抱き上げ微笑む。
「よかったわね、河童ちゃん。あなたはあたしたちの想像の産物で、現実には存在しないのよ」