結井亨『枯菊』

 一面が掘り返された運動場が墓地になっていた。真夏の空の下に、乾いた象牙色をした土の墓が並んでいた。墓の前には、番号札のついた短い木杭が一斉に打たれていて、新しい白木の位牌が置かれたものや十字架が立てられたものがあった。
 私の姿はひとつの墓の前にあって、近くにすすり泣く人の声を聞いていた。目の前にはずっと以前に菊の花が捧げられたまま、枯れている墓があるのだった。枯菊は骨だけのような姿になってなお、背筋を延ばして佇んでいた。私はひざまずいて手を合わせていた。
 若い兵士がやってきて、「遺族の方ですか」と声を掛けてきた。いや違う、ここへは通りがかったんだと答えると、兵士は「ならばどうして」と言った。
 この街にはかつて、私が行きずりの一夜を共にした女が暮らしていた。夏の川開きの夜に、暗闇の岸辺の道で出会った女だった。私の前で涙ながらに語ったところによれば、女には共に暮らす夫がいた。夫はある夏の朝、妻とのいさかいの最中にサンダル履きで家を飛び出して、どこかに消えてしまった。女は貝殻のようになった家に籠もって、夫の帰りを待ち続けていた。
 「ここは、あんたが来る場所じゃないよ」と言った兵士は、私のカメラを取り上げた。私は叱られた少年のような格好でそこに立っていた。
 川開きの夜に女と歩いた岸辺の道も、女が住んでいた家のあたりも、巨大な獣の手にさらわれたようだった。だが兵士は、私が見てきた風景がないものであるかのように、画像を一枚一枚と消していった。
 あの夜――闇に浮かんだ白いものをつかまえようと伸ばした私の腕に、女は爪をたててしがみついてきた。女は声もきれぎれに「あなたが私を救ってくれた」と言った。
 カメラが返されると、私は運動場を出ていった。二度と振り返らなかったが、私の脳裏には枯菊の墓の姿が残った。