鬼井春明『章仁と尚絵』

 よく知る章仁は変わり果てていた。
 あの日から半年を過ぎようとしていた夜、わたしは章仁と相見える機会を設けた。想いを受け止める器量なぞ自分にあるはずもないのに、それでも章仁に会っておきたかった。

―あいつの会社がさ、あの東部道路の向こう側にあって。

「おれはその日仕事が休みで近くのホームセンターに買い物に行ってたんだよ。引っ越したばかりでさ、あれこれ不足してるものもあったから、前の日にあいつと相談して必要なものを書き出してメモにして。買い物から帰ってマンションの駐車場から部屋まで二往復したよ。それから一息ついていたら」

―揺れた。

「揺れて、こわいくらいの静寂が一瞬あって、テレビを点けて、地震情報を見て、津波が来るっていうんで、尚絵に電話した。携帯電話が繋がらない。あいつの会社が海の近くだって知ってるからさ。あいつの声が聴きたかった。車を出して、尚絵の会社に向かった。見晴らしのいい田圃の間を突っ切って、あいつの会社の社屋と」

―泡立つ灰色の波が見えた。
―変わらぬ空と雲があった。
―世界は静かに混沌とした。



―このさ、ここに。

 章仁は左手のひらで自らの右胸あたりをぽんぽんと叩く。泣いている。

「ここにあいつの涙が滲んでくるんだよ」

 ジャンパーをめくりTシャツを見せる。その部分だけが色濃く湿っている。

「泣いておれにしがみついたらさ、丁度ここ、ここん所がびしょ濡れになるんだよ、こんな風に」

 見る間に涙の滲みが面積を広げる。章仁はそれを愛おしそうに撫で、泣き笑いの表情のまま、それを握りしめ、影になった。



 章仁の車が発見されたのは三月二十五日だった。
 仙台東部道路の橋梁に打ちつけられ大破していた。
尚絵さんは会社の同僚らとともにいち早く内陸部へ避難し、何度も章仁へ連絡を取ろうとしていた。
 二人が新婚生活を送るはずだったマンションの部屋は今も尚絵さんが棲んでいる。