百句鳥『挨拶の音色』

 東北地方のさる小さな町で、病により床に伏せていた夫が息を引き取った。九十を超える老体に厳しい冬の寒さが応えたのか。しかしながら生きるだけ生きた彼の死は、関わりのある人々に後悔の念を抱かせなかった。葬式後に始まった談笑がそれを物語っていた。親戚達は一つの部屋に集まり、思い思いの場所を取って雑談に興じていた。その輪は野太い話し声や笑い声に加え、時折軽くぶつかる猪口の音などで満ちていた。多人数というのもあり、常に誰かしらが喋っている様子である。
 そこにふと、か細い金属音に似た異質の音色が混ざった。最初に気が付いたのはもっとも年若い小学生の女の子だった。彼女が音のする方を向く頃、独りまた独りと漂い来る音の前に沈黙して行く。仏間から発せられた音は限りなくお鈴のものに近かった。それが鮮明に、それでいて小さく尾を引く様に鳴り響いた。申し合わせた訳でもないのに全員が口を閉ざした。音の余韻が消え去るまで、皆が無言のままじっとしていた。やがて女の子が周囲に「お鈴が鳴った。誰か鳴らした」と大声で伝えた。
 にわかに場は騒然とした。主に女の子の主張を否定する言葉だ。誰もが口を揃えて「音などしなかった」と言いだした。鳴ったと確信している彼女がいくら訴えても、大人達は頑なに拒んで頷こうとしなかった。意地になって語調を荒げると遂に父親から黙るよう叱責された。そうした一同の態度に接することで、なおさら彼女の内に芽生えた不信感は深まった。耳にしている筈なのに、極端に映るほど拒否する態度が胸に引っ掛かった。
 ずっと後になってから彼女は古い言い伝えを知ることになる。同町では葬式が行われた時、近い内に亡くなる知人がお鈴を鳴らしに来るといわれているらしい。そっと仏間に入り、お鈴を鳴らすことで世話になった人々に挨拶をするのだという。