青木しょう『成就』

 わがね、と泊めてくれた村人は言った。
「今日はわがね、十二日だ、わがねわがね、山さへってわがね」
 そう言われても、私たちにはもう山しか行くところがない。
 雪絵は華族の令嬢だ。私は使用人だ。彼女に縁談がもたらされ、私たちは逃げた。この道ならぬ恋を成就させるには、もう誰も通わない山奥でひっそりと隠遁するしかない。
 開通したばかりの汽車に乗り、馬車を使ってここまで来た。なるべく短時間で距離を稼ぐためだ。追っ手にとってもたやすい旅だろう。急がなくてはならない。早く足跡を消さなくては。
「わがね、行ってわがね」
「ありがとう、しかし行かなくてはならないんだ。きみの親切は忘れないよ」
 私は宿代として村人に小金を握らせ、雪絵の手を引いて足早に山道を歩きはじめた。雪絵の手はかすかに震えていた。
「怖いですか」
「……いいえ、少し、寒くて」
 なるほど確かに寒かろう。この土地の十二月は、東京のそれとは比べものにならない厳しさだ。だが、これからここで生きていかなくてはならない。苦労知らずの雪絵には酷かもしれないが、慣れてもらわなければ。
 白い息を吐きながら山を登り続けた。
 ――千五百二、千五百三
 突然、頭上から声が響いた。唐突な大音声に私たちは思わず立ちすむ。
 ――千五百四、千五百五
 ああ、と雪絵が声を漏らした。
 今日は山の神様が木を数える日だ、村人がそう言っていた。数えられてしまったら。
 ――千五百六
 雪絵はもう隣にいなかった。私は、細い若木の枝をしっかりと握っていた。
 そして。
 ――千五百七