リョウコ『浄土ヶ浜』

友人の修一が、先日私の家に来て、一枚の写真を見せてくれた。三人の元気そうな子どもが写っている。今から三十年前の写真だそうだ。ところが修一は妙な顔をしている。不思議に思ってたずねると、彼はその時のことを話してくれた。
 若い頃、東北の海岸線を車で走っていて、なぜか急に休憩したくなったんだ。そこは三陸のとてもきれいな海辺だ。僕は砂浜にすわり、青い空と海を眺めながら、まだ肌寒い潮風を吸い込んだ。その時、僕をじっとみている老人と子ども達に気がついた。彼らは寄ってきて僕のとなりにすわった。
「きれいな所でしょう?」と老人が言った。子ども達も何だか嬉しそうに僕をみている。
「ええ、そうですね」と僕はこたえた。
「でも目の前の岩は、針の山と呼ばれているんですよ。そら、そこは血の池」と老人は指さした。「そしてこの裏側の海は極楽なんです。地獄を味わった者しか、本当の極楽をみれないかもしれませんねぇ……」老人はそういうと、何やら念仏らしきものをぶつぶつ唱えだしたのだ。
「地獄と極楽が裏表だなんて、正直少し恐くなったんだ。それでも僕は、旅の記念にと、老人と子ども達の写真を撮った。それがこれさ。今度の震災であの旅の事を思い出し、あの子らは、もういい年の大人だが、無事でいてくれてるだろうかと、久しぶりにアルバムを開いたら、この写真だけがおかしいんだよ。写っているはずの老人と子どもが一人消えているんだ。子どもは確かに四人いたんだ……」
「もしかしたらあの震災で……」と私がいいかけると、修一もうなずいた。
 そのあと修一は、供養のため、その海岸のある岩手へと出かけたという。消えた老人と子どもは、極楽のある浜辺へ移動したのだと、彼は今ではそう信じている。