青山藍明『絹の靴下』

「ねえ母さん、あっちは退屈だったの? 」
「退屈じゃなきゃ、こんな歌、おぼえないよ」
母は青菜の塩漬けを刻みながら、あの歌を歌う。
古い歌謡曲で、名前は「絹の靴下」。歌っている女優さんは、母と同じ年だそうだ。
山男の父に見初められ、わかりましたと二つ返事で身を差し出した母のおかげで、村は豊作になった。そして、私が生まれた。
母の実家は村一番の金持ちで、何不自由ない生活をしていたのに、どうしてこんな山奥まで来たのだろう。
嫌がって、身を隠す娘がほとんどだというのに、自分からすすんで出向いたのは、どういうわけだろう。
母の背中を見ながら考えていたら、がさがさと枯れ木をかき分け、父が帰ってきた。
台所から聞こえる歌声に、父が苦笑する。
「またあの歌か、よく飽きないな」
「あら、あやまちはあの日にうまれたんじゃありませんでした? 」
「やめなさい、娘の前で」
酒も飲んでいないのに、頬を真っ赤に染めた父の姿に、私はふたりが強く想い合っていることを感じた。
「母さんはね、あの家が嫌いだったんだよ」
「どうして」
金持ちで、土地もたくさんあって、地代もたくさん稼いでいたらしい。噂しか聞かないけど、平屋の、立派なお屋敷なのだそうだ。
「あたしならお見合いして、お金持ちのまま暮らすわ」
「あんたには、まだわかんないわよ」
さっき刻んでいた青菜を、父が灼いた皿に盛りつけた母が、いろり端に座る。吊された鍋の中には、イノシシが煮こんである。寒くなると、山奥ではこれしか、食べるものがない。
「窮屈で退屈で、自分のことしか考えないとこだよ、あんなとこ」
「おまえの実家なんだから、ひどく言うものじゃないよ」
父にたしなめられて、母はよれよれになった靴下を、ぐいっとひきあげた。
嫁入りの時にはいてきた、絹の靴下だった。