畦ノ 陽『なゐふるさん』

 今年のなゐふるさんはあかずの年寄りが目を剥くほど酷かった。めあきにはどう足掻いても思い描けないようで、推し量っていた地洗いとはレヴェルが違う。
 そっただとごよっがこっづさ来でけで。
 諭してもピクリとも耳を貸さずごぅーんごぅーんと前後に揺れる。娘どころか御神木ごと墓石ひっぺがして一切合財さらっていった時は誰も彼も山へ逃げた。あかずの年寄りは蔵に閉じ籠ったらしく、今となっては瓦礫の下だという。後になって無知だ無知だと心無いめあきが騒いだが、年寄りには年寄りの方途方便というものがある。なゐふるさんに掻っ攫われるぐらいなら抱きかかえて地に埋まる方が良い、とさえ思う家宝があったかもしれない。なんにせよ。逃げてくれと泣いて頼むせがれに表から鍵を掛けさせて蔵に籠ったのだ。
 いよいよ、なゐふるさんが放ったうまンずどもが幾重にも重なって盛り上がり、堤を突き破り、地を駆け、川を遡ってなゐに満ちた。めあきには何が何だか、ただの水のうまンずどもが我先にと地を洗って、すべてを屑山か更地にしてしまった。終いには誰も彼も、持てる者も持たざる者も、まっさらだ。とにかく何もない。喰い物どころか水もない。暖をとろうにもガスも電気もオイルもない。
 おっかねェ、おっかねェと皆が寄りかたまって凍えても、なゐふるさんは容赦がない。幾ら諭そうにも身震い一つで大地が割れる。顔の分からぬなゐふるさんなど祀るに値しないからか、それともめあきの方策が杜撰だったからか、いずれにしても来年か再来年か、なゐふるさんはピクリとも耳を貸さずどぅーんと地を揺すってうまンずを放つ。大昔から今の今まで、それは変わらない。ずっとそばに居る。そうであるから誰も彼も「いつでも前(め)さ進むべ」って話ス。