料理男『本当の語り部』

 名所の一ヶ所一ヶ所で時間をくって、語り部との待ち合わせ場所に着いた時には、約束の時間を大きく過ぎていた。せっかく個人的に遠野の伝承を聞く約束を取り付けたというのに、何とも申し訳ない。控えめに声を掛けつつ引き戸を開けると、語り部は笑顔で待っていてくれた。
 その数、数十人。さして広いとも思えぬ空間に、大勢のお年寄り、それも女性ばかりがひしめいていた。
 呆然と佇む私をよそに、一人の老婆がおもむろに語り始めた。柔らかな土地の言葉は心地良いが、どうにも雰囲気が沈んでいる。よくよく見れば、語っている一人を除き、他の老婆は全員が俯いていた。後悔するような悲しむような陰気が、その場を満たす。
 空気は重くまとわりつき、容易く自由を奪う。腰を抜かすでもなく、私は突っ立ったまま、ただひたすらに耳を傾けていた。
 蕩々と紡がれる言葉は、いつしか変わっていた。方言などではない、もはや黄泉から漏れ出す呪詛。だが、私は拒めない。
 一体どれほどの時が過ぎたのか。魂を直に責められた拷問の時は、唐突に終わる。
「あれ、来てたんかね」
 向かいの引き戸が開くと、老婆が一人、顔を覗かせた。途端、その場を埋め尽くしていた老婆達が、ふっと掻き消えたのだ。
 呪縛が解けへたり込む私に駆け寄ろうとするのを大丈夫ですと制し、ふと腕時計に目をやると、到着してからまだ一分と経っていなかった。
 挨拶もそこそこに、語り部に今の体験を聞いて貰う。
「そりゃあ、でんでら野の婆さん達だ」
 語り部がそっと手を合わせるのを見て、私も慌てて真似る。ここに来る前、見てきた場所じゃないか。
 でんでら野……悲しく厳しい姥捨ての地。