青木美土里『寄り神』

 長い坂道を下ると罅の入った石碑が見えてきた。あれを過ぎればすぐ故郷だ。そう思った途端、肩がどっと重くなった。急激な疲れに、足元が覚束なくなる。さては、先ほど回った場所で何かを負うてきてしまったか。すべてが根こそぎ洗われた集落に、ぽつねんと残された鳥居。婆さんから聞いた寄り神の言い伝えを思い出した。海の向こうから漂着した神を祀った社があったのは、確かあの辺りではなかったか。
 気付くと、いつの間にか目の前に小さな子供が立っていた。坊主頭の下のくりくりした目がじっとこちらを凝視している。
「何しょってるの?」興味は私の背後にあるらしい。何が見える?と訊き返すと、「背におっきいもんが、おぶさってる」そう、したり顔で言う。
 肌を射るようだった日差しが、急に翳った。にわかに視界が色を失くし、はじめて、行きには間断なく聞こえていたはずの波の音が全くしないことに思い当たった。次第に眼前の子供のことが不思議に感じられてくる。どこから出てきたのだろう。ここはずっと一本道のはずなのに。構わずに進もうとすると、「そっから先は誰も入っちゃいけないんだよ。キケンなものが広がってるから」石碑のほうを指し、歳に似合わぬ口ぶりで知った風なことを言う。危険なものって?尋ねようと口を開
くと、けたたましい足音を立てて前方から女が走り寄ってきた。子どもを庇うように抱きかかえると、「連れていかないで」震えながら言う。何か誤解されてますよ、という私の言葉に、激しく首を横に振り、ひたすら「見逃してください。この子まで連れていかないで」同じ言葉を繰り返すばかり。言葉の通じない女に嫌気が差して、横を素通りすることに決めた。「ねえ。もしも父ちゃんたちに会ったら、早く帰ってきてって言って」子どもの声が背を追ってくるが、母親のほうはついに一度も、こちらを見ようとはしなかった。