葦原崇貴『ふしめ』

 瓦礫の山から出てきたビデオカメラは完全に壊れていたが、奇跡的にメモリスティックの中身を再生することはできた。撮影日はすべて三月十一日となっている。
 どこかの家のリビング。幼稚園から帰った制服姿の男の子が、満面の笑みで室内を行ったり来たり、落ちつかない。母親はケーキを作っている。会話から、今日がこの子の誕生日だと判る。撮影している父親の声も入る。
「その時」が来る。激しい揺れに、室内が引っかき回される。母親の悲鳴が音割れを起こす。子供は声も出ないようだ。床に放置されたカメラが、テーブルの下に潜りこむ三人の背中や尻を映す。
 外。曇り空の下、陸橋の上から海を撮影している。周りには大勢の人が。揺れのショックも収まり、波の様子を見に出たらしい。この時点ではまだ笑顔も窺える。
 波が陸に上がってくる。非常にゆっくりと、水嵩も低く見える。まさかここまでは来ないだろう、来たとしても陸橋だから問題ないだろうと話す声が入る。しかし自動車が流され海沿いの家屋が破壊され、水の勢いが衰えないのを見て取り、次々に人々は逃げだす。
 激しく上下に揺れるカメラ。しかし波に追いつかれる。ごぼりとくぐもった水音。
カメラが手から離れたらしく、濁った水中を舞う。撮影者の顔が一瞬映るが、表情は判らない。
 回転する世界。マイクが壊れたのか無音。時折、車体の一部やひしゃげた家らしき物体、人の姿らしきものが漂うことから、水中だと判る。だが次の瞬間、映像が固定される。まるで誰かがカメラを手にしたように。
 再びリビング。テーブルにはケーキ。五本のロウソクに火はついていない。男の子は制服姿のまま俯いている。隣の母親も伏し目で、静止画かと見紛うほど微動だにしない。停電だからだろうか、とても暗く、背後の家具も壁も何も見えない。ふたりが同時に顔を上げ、カメラを見た。レンズの前を魚が横切る。