百石秋堂『老人と故障』

 まだ雪が積もる二月の畦道に、黒装束で舞う老人がある。
 頭には大きく煌びやかな馬頭型の烏帽子を被り、それを地面に擦り付けんばかりに振り回している。その所作は、この地方に伝わる豊年の予祝、えんぶりであろう。ならば手に持つ太い短杖は、ジャンギである。えんぶりでは、踊ることを摺るという。ジャンギを地面に叩き付けるように、老人は摺る。今年の実りを祈って。
 その傍らに一人、青年が居る。激しく摺る老人に対して、異常なまでに無表情な彼は、正確には青年ではない。農業機械、ロボットだ。
 今は西暦2077年。製品名「開墾君」というそれは、田を耕す、苗を植えるといった機能を搭載し、そこそこのヒット商品となったが、ヒト型作業機械というコンセプトが過去の物となって久しい現在、その存在はもはや珍しい。老朽化しているのだろう。冬の青空の下、ロボットは時折カクンと揺れる。
 老人はいつしか摺り終えている。えんぶりは神に奉納するのではない。
大きな烏帽子に神が降り、神が摺る。老人は、その神の依代となった烏帽子を、ふと揺れる開墾君に被せた。被せながら機械の買い替え時を思う。老人は一人暮らしである。その農機具は、老人にとって、少し、家族のようなものだった。さらに、手にジャンギを握らせてみる。パチ、と何かが鳴った。と、
「もういきます」
 声が聞こえた気がした。機械は喋らない。驚いて顔を上げると、無表情な開墾君の、口元が何か言いたげに戦慄いている。今にも喋りだしそうな様子に、老人は思わず
「黙れ」
と叫んでしまった。
 声が届いたのだろうか。ロボットの動きが止まった。びょう、と風が吹いて烏帽子が揺れた。遠くで杉林がざあと鳴っている。
 突然、青年は大きく震えだすと、田を耕す動作を始めた。烏帽子を揺らし、ジャンギを振り下ろし、歪なえんぶりを摺った後、それはドサ、と畔に事切れた。壊れたのだろう。