百句鳥『よびごえ』

「昭和八年に東北地方で起きた三陸地震は、数多の死者を出す大災害となりました」
 木造の家屋は次々と倒壊し、海に面した町は瞬時にして悲鳴に包まれた。程なくして山の様な津波が襲い掛かる。それは崩れた家や逃げ遅れた人を飲み込んで、情け容赦なく押し流し、そのまま海に引き摺り込んだ。地震発生後わずかな間に訪れた出来事だった。
 これにより釜石市内の各所は壊滅的な打撃を受けた。
 避難する際に家族とはぐれる人も多かった様で、助かった面々の中に見慣れた顔を求めて探し回る親の姿、あるいは子供の姿があちらこちらにあった。行き場をなくして呆然としたままへたり込む一家も見られた。
 やがて状況が落ち着いた頃、行方不明者の家族を乗せた船が出された。
 沖に向かうと、海面に漂う瓦礫と共に大量の死体が現れた。どれも背を向ける格好ゆえに誰が誰だか全く解らない。凄惨な光景に耐えきれず、誰かが嘔吐する。海鳥には屋根の残骸だけでなく、死者の背に留まる者もいる。もはや生存は絶望的だ。それでも家族達は諦めずに呼び続けた。
 そうした中、一人の母親が息子の名前を呼んだ時である。近くに浮いていた小さな死体が波に押されてくるりと仰向けになった。その傷だらけの子供は息子に違いなかった。母は瞬間的に生きていることを期待し、一緒に乗船している者達の協力を得て引き寄せる。
 しかし、ようやく船に上げた息子は既に亡骸と化していた。
 別の場所でも、家ごと流された祖母を呼んでいたら近くに背を向けて浮いていた死体が反転することがあった。変わり果てた老婆は探していた祖母だったという。
「この津波で命を落とした人は、こうした形で発見される例が多かったそうです」