野棘かな『あの雨をみたかい』

「やっと帰ったか」突然、後ろから声をかけられ飛び上がるほどびっくりした。
「今日は朝から風がビュービュー吹いとったから、こんなこともあるやろ」
振り返ると、あの頃と何も変わらない祖母が腰に手をあて空を見上げて立っていた。
「あんなー、あたし帰れる義理じゃないのはわかっとんよ、けど・・・」
言いかけると、あの火が閉じた目の網膜にゆらゆらとオレンジ色に燃え上がる。
「あの三角の山に灰色の雲がかかっとる。もうすぐ雨が降るぞ」
ぽつりとつぶやくと、さっさと玄関に回って「はよこい」と言う様に手招きをする。なんだ、聞いてないのかと脱力しながらもどこかでホッとしたが、先に行く所があると言いか
けた瞬間、祖母の姿がふっと消えた。よく見ると祖母と二人で住んでいた家の玄関には、板が打ちつけられ売家の看板が貼られ、祖母がすでに亡くなったことを思い知らされた。
どこかでカチッとライターの音がする。駆り立てられるように、背中を押されるように山へと歩きだす。斬り立った山から吹き下ろす風は思いのほか強く、細長く続く谷合いの
草木はまるで拒むかのように激しく揺れながら行く手をさえぎる。
「あの穴へいかなくちゃ、あいつが眠る穴に。そのために、あたしは帰ってきたんだ」
村の者は一緒に逃げたと信じていたが、駆け落ちしようと待ち合わせた林の中で足を踏み外し、環濠集落跡の穴の中に落ち逆茂木に絡まったあいつを見捨てた。馬鹿な奴、暗闇で
タバコなんか吸うなんてどんな余裕なのか、それともやっぱり時間稼ぎだったのか。オレンジ色のあの火を見失ってから後のことは、無我夢中だったのでほとんど覚えていない。
ポツリと何かが顔に当たり見上げると白い雲の間から光りながらこぼれ落ちる雨が勢いを増して私をびしょ濡れにする。うつろに燃える残り火まで消し去るほどの強さで。