池田 一尋『タマシイ』

 女の子の間で不穏な噂が拡がり始めた。この付近の少女らは死助の山にカッコ花が咲くと摘んで酢に浸し、紫色に変化すると夕暮れに吹いて飛ばす。そのカッコ花が誰も居ないのに、独り空を遊泳していると云うのだ。曰く、隣家の長女はデンデラ野の幽霊の仕業だと云い、神社近くに住む末娘はカクラサマが憑いて飛翔しているのだと訴え、村随一のカ
ドを保有する家の次女は姫神がカッコ花に宿っているのだと主張する。
 どれも他愛の噂ばかりだが、未だ世の理を糸の屑ほども識らぬ柵の耳朶には、みな空恐ろしい予言のように響いた。
 とある夕暮れ時、柵は独り田圃が広がる寂然とした畦道を歩いていた。と、左手の田圃の畦道に耀うものが空を漂っている。芯が朦朧と輝いていた。最初は美しさに心奪われ、恍惚りと眺めていたがやがて背筋が寒くなった。カッコ花が浮遊しているのだ。反射的にこの間耳にしたばかりの数々の噂が柵の小さな頭を一杯にした。そして何故だか分からないけれども、家人の魂がカッコ花に吸い込まれて十万億土に運ばれる際に、縁者に別れの挨拶に来るという噂一点に柵の脳髄は支配された。きっとあれはおれのばっちゃの魂だ。逃がしちゃまいね。そう考えるとその思考に操られ、柵はカッコ花と並走し草きれの匂いが満ちる畦道を疾駆した。息が上り、握り締めている掌が汗で濡れた。袖がばたばたと翻る。だが必死の追跡行にも拘わらず、柵は遂にカッコ花を見失った。黄昏のなか独り立ち尽くしていると不意に口が戦慄いた。睫毛が震えた。えずきが止まらず、しゃくり上げた。嗚咽を漏らしながら帰宅するとばっちゃは囲炉裏の傍でうたた寝をしている。安堵感襲われた瞬間、喉の奥から号泣が迸った。
 十年が過ぎメンスが降りて胸が膨らみ、腰もくびれて柵は秋波を放つ容姿になった。だが柵の心だけは輝くカッコ花を追い求め田圃の畦道を彷徨い続けている。