安堂龍『初恋の幽霊』

 三沢米軍基地の傍にある生家を出て、公園へ歩いた。夕焼けに染まる街並みは変わったが、十年振りの故郷は懐かしかった。
 雪の積もる道に足をとられながら、僕はある少女のことを思い起こしていた。
 彼女は幽霊だった。綺麗な黒髪で茶色がかった瞳が大きく、笑顔が他の女の子とどこか違った。彼女はいつも一人で公園にいて、他の子供達には見えなかった。
 僕は、彼女の声を知りたかった。彼女が口をどんなに動かしても、その声が音になることはなかったのだ。僕の声はといえば彼女の耳までしっかり届くようで、しかしその意味までは伝わらないらしく、何とも歯痒かった。この世とあの世の、性質の違いだろう。
 親の離婚で引っ越すことになり、別れの日に彼女へ想いを告げた。ベンチに座る彼女の前に立ち、「大人になったら帰ってくるから結婚しよう」と、そんなことを精一杯言った。彼女は首を傾げただけで、それが何ともやるせなく、僕は走って逃げた。
 懐かしい。小学四年の初恋を手繰る内、夕闇の公園へ着き、僕は息を止めた。ベンチに座る人型は彼女だろうか。髪は抜け落ち、皮や肉は緑黄に変色し、かろうじて骨に張り付いている。人型は深い泥色の穴で、かたかたと僕を見つめた。やはり、彼女だ。
 僕はポケットの指輪を握り込み近付いた。一歩踏み出すたびに、彼女の肉が、豊かな黒髪が戻っていく。僕の視線は段々と低くなる。少年時代の景色へと吸い込まれていく。
 彼女はベンチの上で不思議そうに僕を見つめた。ああ、他の女の子とどこか違う表情だ……僕は何て愚かだったのだろう。
 雪の上に片膝をつく。彼女に指輪を握らせ、舌足らずの高い声で想いを告げた。
「アイラブユー」
 彼女は頬を染め、弾けるように笑い、消えゆくまで、僕らは見つめ合った。
 白い息をして、僕は雪上の指輪を撫でた。