水樹『山っ子』

 おじいは怒ってばっかりじゃ、拳骨などもういやじゃ、さらばじゃ。
 噎び泣く声、しゃっくりが山に響き渡る。木霊が消えると山は静けさを取り戻した。
 空を舞い、人里に降りた山っ子。
 鬱憤を晴らす為、三つ又に分かれた指で狙いを定め、どん、と言っては、離れた鉢植えを割ったり、季節外れの風鈴を割ったり、洗濯物に穴を空けたり、人に見えないのを良い事に、腹が減ったら店にあるのを喰い散らかす。野良猫を一飲みに腹は膨れるが、気分は少しも晴れなかった。おいは何がしたいんだろう?  山の背へと落ちて行く夕日を木に立ち眺めていると、一層一人が寂しくなる。一人ぼっちの夜は初めてだった。
 激しくドアが閉まる音で山っ子は振り向く。家から飛び出した、左頬を腫らした青年がバイクを押していた。何となく見下ろしていると、メットを被る青年と目が合った気がした。
 あれ? 見えないはずなのに。
 眼つきの鋭い青年は一端メットを外すと、人差し指で狙いを山っ子に定め、バン、と撃つ真似をした。寂しいんだろ、帰れよ。声は無く、青年の口だけが開く。俺はいいんだ、一人になっても自由でいたいんだよ。
 子供扱い、何もかも見透かされた気がした。青年を乗せたバイクは走り出す。排気音が消えるまで、山っ子は夕日を追う青年を見送った。
 人には見えないはずなのに、しばし木の枝で立ち尽くし想いに耽る山っ子。おじいの匂いが懐かしいのはなぜだろう。おじいの拳骨は容赦なく痛い、嫌だ。だけど一人ぼっちはもっと嫌だ。おじい、今何しているの? おじいの心も空っぽにしている自分に嫌気が差してくる。おじいの拳骨が痛いのはその時だけ、今 ならもらってもいい気もする。素直に謝って、拳骨もらってすっきりしよう。おじいと食べる温かい汁が恋しいよ。おじい、ごめんなさい。帰ったらとびきりの拳骨頂戴。
 ひらりと身を翻すと、赤茶に焼けた山へと空を駆け足で、温かい場所へと山っ子は帰っていく。