水樹『冬の廻廊』

 雪に埋もれぬよう、止まらず、急がず歩む。一時の休み、狭き洞に入る男、腰を下ろすと雪を払い、煙管を咥える。瞼を下ろし、雪景色を消す。深く煙を吸い込む。
 郷里での遠い記憶、稚児の自分を思い浮かべているのか。一人になりて歩むは忘却の道路。無音の歌で何を想う。湿気た種を足元に落とし、身を持ちあげる為、目を開かす。男は再び腰を沈める。遮るは女。
 白肌着一枚、雪にも劣らぬ白い肌、雪中に映える黒い髪、男を見据える一方の眼は獣。
 音も無く現れた女、素足に履物一つ、男を辿って来た足跡は見られず、三度歯を合せ、男は久しく言葉を発する。
「お主、妖か?」
「いかにも、我は妖と契りを交わし、怪となった女、人の頃を懐かしみ足を使えば、そなたを見つけたので様子を窺っていた。そなたに尋ねよう、何処へ行くと云うのだ」
 女、口を開くが吐息は無い。
「分からぬ、目的もなくずっと旅をしている、いつからこうしているのだろう」
「其れは分からぬが、そなたは妖の廻廊に迷いし者、悠久の冬を彷徨う者、いずれその魂魄をも妖に喰われるであろう」
「百鬼に喰われるのも仕方なき、憐れな身の上に口を閉じる所存。しかれど、出るにはどうすれば」
女は男を再び見据え、
「我と逢ったのも人の縁と言うもの、夏の気配も忘れ、朽ちる事も出来ず、彷徨い、自身の躯に腰を下ろす憐れな男、さすれば妖の子を身籠った我の腹へと宿るがいい」
 男は腰の下を確かめると、煙管をまた咥える。
「何処へ帰るとも判らず、一人で居るのは疲れた。是が終わるまで待ってはくれまいか」
「雪と消えりしは、既に冬の無く処。後悔せずとも、後悔すんとも、共に歩むは未知なる道。妖となるか、人となるか、そなたの命運はどちらでもよかろう。せめて、我が子となるそなたの名を聞いておこう」
 男、人の頃を馳せているのか、眼を瞑り、煙を深く吸い込む。音の無き郷里の歌で何を想う。
「名など、とうに忘れた」