大河原朗『赤』

 祖父の山林を歩いていると、木々のむこうに赤い服装を見つけた。長い後ろ髪。女性らしい。真っ赤なパーカーを身に纏っている。登山道ではないし、季節的に軽装過ぎる。同伴者は見当たらず、足取りがどことなく虚ろだ。それとなくこちらの存在を知らせるため、鉈で木の幹をコンコンと叩く。しかし、振り返らない。
 おおい、ここは私有地だ、勝手に入ったらダメだよお――にわかに風がどっと吹き、声はかき消される。赤いパーカーは、聞こえなかったのか、ずんずんと斜面を登っていく。放っておくわけにはいかない。山に他人を入れたと祖父に知られたら面倒なことになる。おおい、おおい、と早足で追いかけた。
 なびく黒髪を見ているうちに、不吉な考えが浮かび上がった。もしかして、死にに行くつもりではないか。いや、まさか。しかし、何の名所史跡もない山奥の集落に女性一人で来るだろうか。突風がまた吹いた。舞い上がった枯葉や砂がパラパラと降ってくる。足が重い。山歩きには慣れているのに、一向に追いつかない。
 絶叫した。ひらけた視界の真ん中で、老木の枝から真っ赤なモノが、ぶらんぶらんと。ああっ、遅かったか、あの女、首を吊りやがったのか――思わず目を背けた。が、違和感。おそるおそる顔を上げる。確かに赤い何かが揺れているが、それは人の形をしていない。パーカーでもない。ただの赤い布だ。
 得体の知れない布きれを手にとる。途方に暮れていると、背後に気配があった。ハッと後ろを見た一瞬、あの赤いパーカーの女性が立っていた、かと思ったが目の錯覚か、誰もいなかった。もうどうでもよかった。その場から逃げ出した。
 家に戻り、事の顛末を話すより先に、大笑いされた。怪しい布の正体は、ふんどしだった。まったく、意味がわからない。
 祖父が急死する、その前日の話である。