御於紗馬『月日が幾ら、過ぎ行きても』

 嘶きが聞こえる。物悲しげな、牛の鳴き声が聞こえる。
 まだ居るんだなァ。今年定年になる親父が、地元で行われている野球中継を肴にビールを注ぎながら言う。私も黙って頷き、何気なく窓の外を見る。
 津浪で全てが失われたという海沿いには堤防を兼ねた巨大な工場が並び建ち、緩衝地帯として設けられた太陽光発電所と機械化された農場が見渡す限り広がって、当時の地形は残ってはいない。
 温暖化の影響で通年利用が可能となった北極海航路の拠点となるや、商社も軒を連ねるようになった。住宅地として高層マンションが建ち始めると、大型の店舗も出来るようになった。親父の実家は関西だが、土建の仕事で行き来するが嫌になって住み着いた。労働者は日本国内だけでなく、海外からも多く押し寄せた。
 世界中の物資や人材が集い合った相互作用は大きかった。当時破綻の縁にあった世界経済をも底上げてなお余りあった。共同の研究所も設立され、重要な発見も幾つもなされた。小学六年生になった息子の教科書にも、東北の奇跡として詳しく触れている。
 それでも、牛は鳴き続けた。親父が移ってきた頃には、夜な夜な聞こえる牛の声に、テレビの取材も来たそうだ。震災の生き残りとも噂されたが、その姿を捉えた者は無かった。やがて、津浪の傷跡が癒え、空き地や瓦礫がアスファルトやコンクリートに駆逐されても、牛の声は絶えなかった。
 環境美化という名目で、野良犬も野良猫も、姿を消した。水害の予防ということで、自然の小川も無くなった。山も斜面も舗装され、森はほとんど人工林だ。それでも、忘れた頃に牛の声は聞こえた。
 窓の外は街灯が輝いている。安全のためだと、夜道は室内のように明るくなった。
 そう言えば、暫く、星の光を見ていない。