鬼頭ちる『青い森の赤い沼』

 どこまでも青く澄みきった空の、やさしい日だった。
 瑞希は宏の故郷である青森にいた。数日前、瑞希がそのお腹に子供がいることを告げてから、宏は青森のとある場所へぜひ瑞希を連れて行きたいと告げた。互いの両親への挨拶、結婚の準備。これから忙しくなるであろうふたりに、宏が真っ先に考えたこと。瑞希の胸は甘く高鳴った。
「一体どんな所?」訊ねる瑞希に、照れながら宏は答えた。
「青森では恋人や夫婦がよく行く、とても素敵な所だよ」
 仕事の関係で後からやってきた宏と合流し、瑞希が宏とふたり駅を去る際、宏は駅員に向かって嬉しそうにこう言った。
「これから“赤沼”に行くんです」すると駅員も満面の笑みを浮かべ、「そうかい。そうかい。お幸せに」とすかさず帽子を脱ぐと、会釈までしてくれた。その後も宏はその“赤沼”に向かうことを道行く人すべてに伝え、そして誰もが皆、あたたかい祝福の言葉を述べてくれた。
 赤沼に着いて瑞希は驚いた。そこは赤い沼などではなく、青く澄んだ、青い沼だったのだ。そしてそのわけを宏に聞こうとした瞬間、瑞希は宏の手によって青沼へと突き落とされた。一体何が起こったのか。無我夢中の中、瑞希はとっさに池の中腹にある小さい岩につかまった。
「ど、どうして!」沼の水の冷たさと宏の冷酷な仕打ちに心も体も震わせながら、瑞希は叫んだ。宏の口が語る。
「ここはね、地元の人間しか知らない、邪魔になった彼女や女房を男が捨てる場所なんだ。誰も君がここに来たことを警察には言わないよ、特に同じ女はね。“あの女、男に捨てられるような馬鹿女なんだ“で終わりさ。そろそろ死ねよ」
 力尽きた瑞希の手は岩肌を滑り、冷たい沼へと落ちていった。やがて青い沼は瑞希の命をすべて吸い取り、真っ赤に染まりきった。その様子を淡々と眺めていた宏が、一言呟いた。
「これが赤沼か。綺麗だな」