日野光里『裏灯篭流し』

灯篭流しと言えば、なくなった人の名前を書いて水辺に灯篭を流す儀式だ。
私の町にも、そうやって流す祭りが毎年ある。
けれど、幼い頃の記憶の1ページには、不思議な灯篭流しの場面があった。
大抵は、みんな海へ注ぐ河口近くで、一斉に灯篭を流す。
けれど、その年だけ、私は母親に手を引かれ、裏山の源流に近いところへと連れていかれた。
それに、母親が流したのは死んだ人間の名前ではない。
小学校の女先生の名前だった。
なぜかを聞いてみたかったけれど、母親の鬼気迫る顔と引き結ばれた口元に聞けずにいた。
ひとつの灯篭はゆらゆらと沢の激流にもまれ、あっという間にくだけ散ったのを覚えている。
ふたりっきりの灯篭流しが終わった後、数ヶ月で小学校の女先生は亡くなってしまった。
心不全かなにからしく、放課後の教室で、チョークを握ったまま倒れていたと言う。
大人になり、母親がやったことが裏灯篭流しであり、殺したい人の名前を書いて流す呪いの方法だと知った。
女先生は、お父さんと不倫していたらしい。
今年、里帰りした私は、誰にも内緒で、昔母親と行った沢へと出向いた。
手には灯篭を持って。そこに書かれてあるのは、先月結婚した上司の名前だ。
私と結婚する予定だった男は、今は新妻の里にでも行っているのだろう。
暗い沢にぽっと灯りの灯った灯篭が浮かび、ゆらりと沢へ乗り出す。
その灯篭の水際に、やけにちろちろとした黒い物が見える。
よく見れば、それは真っ黒な舌のようだった。川からいくつもの舌が出てきて、灯篭を舐めているのだ。
「うみゃあ、うみゃあ」
さざなみに交じって、そんな声が聞こえてくる。
私は慌てて、沢に入ると、灯篭を拾いあげ、地面にぶつけてめちゃくちゃに潰した。
そう言えば、母は大型トラックにぶつかられ、下半身が潰れた後もしばらく苦しみながら死んだ。
足で灯篭を踏みつけながら、間に合えばと思う。