瑪瑙『その子、手が真っ白でねえ』

「その子、手が真っ白でねえ」
 横では小林君が自慢げに語り始めたんだ。僕らがいる立ち飲み屋と道路を挟んだ真向かいにカフェがあり、窓際に若い女がいるのが見えた。下を向いていたけれど女の目鼻立ちが整った顔は遠くからでも分かった。
「酒蔵で働いてると手が白くなるって言うけど、彼女の手は蝋のように真っ白だったのさ」
 僕らはバイトの帰りに、この立ち飲み屋で好みの女性について語らうのが常だった。互いの話が退屈になると、店の前を通り過ぎる女の子の足ばかり見ていた。
「その子とはボランティアで会ったんだけどね、懸命に働く姿に惚れたんで何とか住所を聞き出したよ」
 カフェの女は目線に気がついたらしく、顔をあげたので僕は慌てて顔を伏せた。恐る恐る顔を上げると、彼女は意外にも微笑んでいるように見えたので脈ありかな、なんて思った。
「作業も終わったんで解散になったんだが、何故だか彼女の姿が見えないんで、帰りに会津若松にある彼女の家に寄ったんだ」
 もう、小林君の言葉は耳に入ってない。僕が彼女に微笑み返すと、今度は首を横に傾けたので、僕も傾ける。ちょっとしたゲームのようだ。
「そこは万屋っていうらしく雑貨を売ってた。でも、店内は真っ暗で営業してる風じゃなかったなあ」
 と、彼女が立ち上がった。こっちに向かってくるんじゃないかと期待するうちに、そのまま店を出てきた。
この辺りは車の往来が激しく、信号が青でも左右の確認は欠かせない場所だが、彼女は信号が赤なのにこっちに向かってくる。当然、車は猛スピードで行き交っている。僕は、あっと言って立ち上がった。走ってきた車を彼女は霧のようにすり抜けたのだ。そして、次の瞬間には僕のすぐ横に立っていた。微笑む彼女の手を僕はしっかりと握った。その手は蝋のように真っ白だった。
「それじゃあ、お勘定」
 小林君は僕らのことなど気に止めず1人で帰ってしまった。