君島慧是『崖の絵巻』

 海面から二メートルほどの低い靄が海を覆っていたが、漁の邪魔にはならなかった。リアス式海岸の切り立った崖と島々が靄の上に浮かぶ景観は、雲のうえの仙人郷のようで、昇りはじめた朝日が靄と岩肌を金色に照らすと、港生まれの漁師でさえ溜息を洩らした。と、ひとりが近くの崖を指差した。崖の縞模様がどうしても、川や池や立派な屋敷や庭や、そこにいる人々や動植物に見えるという。他の二人も、そんな風景に見えることは否定しなかった。そればかりか何度も目をこすり、船の揺れ具合と靄のせいにしたうえで言った。「石の筋が動いてねえか」動いてる。だがそんなわけねえ。錯覚だ。ああ錯覚だ。でもよかった。あれは極楽だ。
 舟遊びに、双六に興じ、御馳走をひろげ、象や獏や駱駝に跨り、空を舞う迦陵頻伽の楽に聴き惚れ、蓮の花に眠り、書を見せあい、花を摘み、互いの髪を結う、極楽浄土に憩う人々の景色である。靄のなか漁師が船を移すと、他の崖や島の岩肌も似たような絵に覆われていた。陽が高くなって靄が消えると崖の絵も消え、絶壁はただの白い地層である。
この雲のような靄は度たび現れた。小さな港には深夜から見物人がおしあいへしあい、双眼鏡売りと弁当売りが行き交い、朝市は開始時間が早まって終了時間が遅くなり、誰が言ったか〈海の毛越寺饅頭〉が発売された。
 やがて北海道や関西に四国、九州からも見物人がやってきた。あの仕草お母ちゃんそっくりだ、お母ちゃんと呼んだり、池んところの舟に乗ってる右から三番目の、いま二番目になったのは親父だ、あの酔いっぷり、間違いなく親父なんだと指をさす者もある。
 遊覧船でも飲み物食べ物が売られ、乗客たちは朝から盛んに飲み食いする。絵の人々と朝食をとる気分になるという。双眼鏡を覗きこんだまま弁当のウニにのけぞったりする見物客は観光客の失笑を誘ったが、そんなときは崖の絵の人々も腹を抱えて笑っている。