紅 侘助『蒼い瓶と旅する人』

「どこから?」と訊けば、(北から南から)と応える。「どこへ?」と問えば、(必要な場所ならばどこへでも)と返す。
 あの日以来、何度も出会っているはずなのだが、その都度記憶は曖昧なものとなり、どんな年格好だったのか、男性であるのか女性であるのかすら茫洋として思い出せない。
 はっきりと覚えているのは、その人の傍らにいつもあったガラス瓶の濃い蒼色。
 ある時は親潮の巡る浜辺で、またある時は小高い丘の上で。そして、あの瞬間までは、確かに人々の日々の営みが行われていた様々な場所で。その人はガラス瓶を掲げては(ここでは二百七十三)(ここでは六十四)と、確かめるように数えると、瓶にしっかり蓋をして大切そうに抱えながらまた歩き出すのだった。まるで何かを集めているかのように。
 確かめずにはいられなかった。「あなたは何をしているんです?」私の問い掛けにその人は暫しの沈黙の後、(夜になったらいらっしゃい。松原の跡地に)と、そう告げた。
 言われるままにその夜、かつては三千本を誇っていた松原の跡地に赴いた。その人は、最後まで残りながら惜しまれつつも刈られてしまった一本松のあった場所に佇んでいた。
 蒼いガラス瓶がその人の手の中で輝いていた。蓋が開けられた瞬間、中から光の帯が迸った。小さな小さな数限りない燐光は次第に広がり、蛍のように舞いながら今は無き「奇跡の松」の在りし日の輪郭を形作った。
 その光景に息を飲んでいる私にその人は囁いた。(あれは両親とはぐれた子。あれは懸命にアクセルを踏み続けた人。あれは最後の一人まで気遣っていた人。どの魂魄も、決して価値の差などありません)その通りだと思った。小さくても、みな等しく輝いていた。
「一体いつまで?」と尋ねると、(全てが終わるその時まで)と応えたその声は、深く静かな哀しみと憤りに満ち溢れているような、そんな気がしてならなかった。