松雄到『トッカさん』

 二股に分かれた幹の間から、夏が、深い雲の谷間をのぞかせます。
 雲のふもとの小高い丘の上に、古い寺が建っています。その寺の境内から田んぼ道に下る土手の中程に、昔、横穴がぽかりと口を開けていて、そこに白くて細い狐が二匹すんでいたそうです。
 「トッカさん」と、そのあたりの人はそう呼んでいました。季節の変わりの折々に、近所の人が置いた団子やらなにやらを食べに出たり、時折近くの家の肥え塚に餌を漁りに来ては、食べ残しを捨てに行く家人とぱったり出会ったりしていたといいます。目が合うとしばらくは良い姿勢でじっとこちらを見ているのですが、やがて何に驚いてか、す、す、と、草陰に姿をかくすのだそうです。
 夏も盛り。無数の蝉の唸りを孕んで膨らむ木の枝が、細かな葉ごとに細かく光ったり翳ったりするある日のこと。
 なんだかの酒宴で、昼から外で飲んでいた若い衆のうちの何人かが、酔いに任せて、ずいぶんひどいいたずらを狐の巣に仕かけたことがあったそうです。火のついたものをその横穴に投げ込んだとか、尖った木の枝やら何やらを投げ込んだとか。
 驚いた二匹の狐は、山の方へと次第に濃く滲む夕暮れの闇に、かわるがわる跳ねて逃げだします。尻尾の白い影をしばらく残していましたが、ひと声高く鳴くとまもなくその影も失せて、それ以来もう二度と、その巣に戻ってくることはありませんでした。
幾日か後、円かな月の出ていたはずの東の空に、蒼黒い雲が西の山の上から取り返しもつかないほど崩れていく夕暮れ。
 田んぼの水を見に行った老いた百姓が、屋敷の裏にある狭い納屋の陰の暗がりですくんだといいます。
 屋敷を囲む林に巣食う蝉どもがふいに静まり返る中、ひとり鳴くわんわんの蝉をかじる片目の白い狐が一匹。