天羽孔明『雪女に出逢いし話』

若い頃に雪山で遭難しかけた時、雪女に出逢って助けられたことを妻に話すと、妻はとても哀しげな表情をいたしました……。 「あぁ、あの時のことは、けっして誰にも話さないでと言ったのに……」 「では、やはり君があの時の雪女だったのか……。僕は、どうしても…

天羽孔明『巳さんの居る家』

私の家族は、私と、私の娘と、私の母親と祖母という、女性ばかりの四人家族です。 私の父親は私がまだ幼かった頃に亡くなったそうです。 私がまだ小学生の頃、曾祖母はまだ健在で、私はその曾祖母に、なぜ私にはお父さんがいないの? と泣きながら訴えたこと…

天羽孔明『こけし沼』

三十年ほど前に他界した、明治生まれの祖父の故郷は、岩手から山形へ抜ける県道の途中にある小さな集落だったそうです。 その集落から北東へと向かう林道の入口には二本の大きな楠が立ち、その二本を繋ぐようにして太い注連縄が渡らされ、それより奥へは妄り…

オギ『霧の朝』

幼い頃、父の車に乗って、ずいぶん遠くまで行ったことがあります。父は一人でよく喋りよく笑い、お母さんはどこ、という疑問をさし挟む隙もないほどでした。色々な場所に行き、車の中で眠るのは楽しかったけれど、父の様子がおかしいことは子供の目にも明ら…

オギ『海へ還る』

北の海辺で人魚を拾った。ずいぶんと昔の話だ。 人魚は私に、鱗を剥いでくれとねだった。鱗をすべて剥いでしまえば人になれるなどと、一体誰に吹きこまれたのか。人魚の鱗は高く売れる。私は人魚を殺さぬように、少しずつその鱗を剥いだ。 むろん脚など現れ…

佐原淘『サザエ堂』

二重螺旋のサザエ堂に婆ちゃんと二人で登った。婆ちゃんがリンパ腺のガンで死ぬので、喜美子お前婆ちゃんとサザエ堂に行けと言われたのだ。 埃臭い堂に入ると窓から差す陽がまぶしい。婆ちゃんが何も言わずに登りだしたので手を引いてやった。階段が細かいか…

佐原淘『「恨み」と狸』

私は恨み。ホームから電車に飛び込む以前の事は覚えていない。私の腕が飛び、腹が黄色い脂肪と小山のような内臓をぶちまけるのを見た。しかし私は車両の下にべったりと張り付き、私をそこへ追い込んだ世間への恨みだけの存在となった。私は手を伸ばし絡まる…

村岡好文『静電気』

あの大震災からもうすぐ一年が経とうという、冬の日のことだった。私は津波被害に遭った叔父に頼まれ、叔父の家へ諸々の整理に赴くことになった。妻子を津波で亡くした叔父は一人で仮設住宅に入っていたが、働くこともせず毎日パチンコ屋へ入り浸っており、…

御於紗馬 (みお しょうま)『みどりヶ丘の鬼』

関口の奥さんが失踪して一年になる。 彼が仙台の出張所に転属し、引っ越した矢先のことだ。知らせを受けたときは戸惑ったものの、私も自分の仕事に追われて延び延びにしてしまった。 新幹線、在来線、バスを乗り継ぎ、彼の住む新興住宅地へ向かう。最近切り…

沼利鴻『天井』

恐い恐い、と祖母が呟く。なにが、と問うと、天井、と答える。 祖母は古い離れに住んでいた。 天井のなにが恐いの、と私は訊ねました。あんた天井をじっと眺めた事があるのかい。あれほど心細くなる事はないよ。妾らは、その下で毎晩眠っているのだよ。じゃ…

沼利鴻『鰍沼』

二人の少年が古びた社の前で立ち止まり、そしてまた歩き出した。「鰍を食べながら、ここに住んでいたんだ」京助が薄い笑みを浮かべる。良太は、うん、とだけ答える。薄暗い森の社で、孤独に鰍を食べ続けた男を想像すると良太の肌は粟立つ。その男は異質な者…

三和『桜の妖精』

先生が石段をおりている。その後ろから、あたしも石段をおりている。紺色の背広の背中を、あたしは一心に追いかける。舞い散る桜の一片が、前を行く先生の黒髪にひらと着地した。先生の頭にのった桜の花びら、いたずらな妖精みたい。あたしはスカートのプリ…

三和『片割れて』

冷たい風が吹きつけて、頬が痛い。 顔をあげてふと辺りを見渡す。見えるわけはないのだが。風は、さっきの風はどこから吹いてきただろう。北からだろうか。北からじゃないか。北からに違いない。 双子の片割れである僕は、明るい夜の都会の真ん中にぼおっと…

敬志『汁だく大盛り牛丼』

東松島から石巻に向かう道沿いの牛丼チェーン店の駐車場に、船が一艘停まっている。 交通量の多い幹線道路に面した一番手前の区画なのでよく目立つ。 船といっても沖釣りに出られる程度のボートの様な物だ。船外機は脱落し、船名も擦れ削れて名残のみ留めて…

勝山海百合『ILC誘致のための地質調査説明会』

安定した花崗岩の岩盤が広がる北上山地に超線形大型加速器、国際リニアコライダーを誘致することを目的とした地質調査を行うため、岩手県奥州市の公民館で住民を対象にした説明会が開催された。会場には高齢の男性を中心にした数十人が「おらほでなにすんだ…

多麻乃美須々『つじ子』

朝起きてサラダを作ろうと冷蔵庫の野菜室を開けると大根が削れていた。引き出しを開ける時に削れたのだろう。でも、その次の日の朝も大根が削れていた。今度は、まるで小さな歯型だ。 その日の晩、寝床で眠りに入る頃、からからと冷蔵庫から音が聞こえた。製…

庵堂ちふう『みちのくストリップ・ティーズ』

フラれて何もかもどうでもよくなり、それでもいったんはこれではいかんと奮い立ち、被災地支援のボランティアに参加してみたりなどしたのだけど、足手まといになるばかりで被災者にも「役立たず」とののしられ、もう死んでやろうと現地の山に入った。 山に入…

庵堂ちふう『pop.0001』

一人。一人というのがいい。それがオレの望んでいた ことだと今更分かった。連中がみんな逃げていったからそうなった。ここ にはもうオレしかいない。空の霞んだ町。 たまに勝手にやってきて、辺りをうろつきまわる連中 もいる。ここら一帯はもうオレの庭だ…

庵堂ちふう『森の中で』

蜜子は敦志と二人きりになれて嬉しかった。普段、教 室ではどんな感情も表に出さない彼女だったが、自然と頬が緩んでいた。森の中では誰に見つかる心配もなかった。 二人は幼馴染だった。中学でいじめにあっている蜜子 に声をかけてくれるのは敦志だけだった…

七海かりん『開かずの蔵』

私がその話をした時、母は嘘をつくなと叱ったが父は大層喜んだ。 我が家には古い蔵があるのだが、開くことはない。何人もの腕の良い職人が挑んだが、誰も開くことの出来なかった開かずの蔵である。その蔵に私は一度入ったことがある。物心がついた頃、蔵が開…

なかた夏生『足』

膝のあたりに何やら文字が書いてあるのだが、読めない。それよりもまた、左足だけが疼き始めた。足の指の間の出来物は相変わらず膿んでいて、黄色い汁を垂れ流している。甲からふくらはぎにかけて、肌はひび割れ痛いのだ。やがて頭も痛くなり、そうなる前に…

高山あつひこ『骨の語る物語』

僕は骨。地中奥深く潜る旅の途中。地震によって起きた断層の隙間を滑り、地下水の流れに乗って、深みへと落ちていく。 あの日、電気仕掛けで火山がうまく爆発したのと同時に、僕の魂は空遠く舞い上がって宇宙の一部になったのだけれど、僕の体は粉々になって…

なかた夏生『指』

両手の指どうしがくっついたままの手に刃を入れたのは母で、毎日少しずつカッターで皮膚を切っていき、全部の指が外れた頃に死んだ。指紋と母をなくしたまま私は大きくなって、二十二歳で結婚した。相手は北に住む人だった。その人は全部の手の指先をなくし…

なかた夏生『姉』

わ、たしを産んだことを母はしら、ない、ない。とても小さかたから、姉の髪の毛のな、かにかくれんぼうし、てい、きてきた。母が姉のかみの毛に、くし、をいれる時こわかった。わ、たしと姉が七つになたとき、かくれ家をかえた。お米入れのはこの中のそこの…

松音戸子『九十五の君へ』

拝啓 今この手紙をどこで読んでいるだろうか。君に話したいことがあって、馴れないながら筆を執っている。 刈和野駅を知っているだろう? その駅前に、祭事の『刈和野の大綱引き』で使われる綱のレプリカが展示されていたのを覚えているか? レプリカといっ…

来福堂『ニルヤの花』

いつ又、揺れるんだろうか。そう思うと、恐ろしくて堪らない。うつらうつらと、眠っては覚める。あれから、ずっとそうだ。 だから、これが夢かうつつか分からない。 見た事のないような、色鮮やかな花々を両手に抱えて、親父とお袋が笑っている。 あの日二人…

山村幽星『屏風おとし』

古い田舎屋に住むようになったのは、たまたま訪れた農村で人気のなさそうな農家の日当りのいい庭になにげなく入りこんで、ガラス戸の閉ざされた縁を振り返り、こんなところで暮らすのもと思いだしたとき、いきなり縁側のガラス戸が開かれ、やっぱり人が住ん…

山村幽星『邪鬼』

「なんではるばるこんなところまでやってきた」 「人にきかせるほどのことではない。心にうかぶ十七文字を書きつける者があるのだよ」 「外にはなにもしない。ずいぶん暇な人があったものだ」 「ずいぶん厳しいことをいうもんだ。人には生まれついた成りわい…

来福堂『プロジェクト・ザシキワラシ』

某月某日、遠野市のとある場所で、会議が執り行われた。そこに並ぶのは、幼い顔ばかり。しかし、表情は真剣そのものだった。 「来たるべき日、この遠野は拠点となります。その際、物事が円滑に運ぶよう、準備が必要です。えー」議長が辺りを見回す。 「まず…

来福堂『あのこ』

間引く子は、産後三日以内に石臼の下敷きにして殺し、土間に埋めれば、その家の守り神になる。そう言うけれど、では守り神だらけのこの家は、どんなに幸せかといえば、まんまも炊けない有様。貧しくて人に成れなかったんだもの、比所に長居はしないさ。 静か…