須藤茜『白い花弁』

大きく揺れた時、私は仙台のアパートにいた。気仙沼の実家にすぐに電話をする。

「こっちは平気。お父さんが仕事場にいるけど、たぶん大丈夫よ」

それきり連絡は途絶え、一週間後にようやく繋がった電話で、父がまだ帰ってこないことを知る。

 私にできることは何もなかった。ただひたすら、限られた日常を進めるだけだった。 

私は知人に連れられ、近くの銭湯に出かけた。涙はお湯に溶けて誤魔化された。

 帰ろうと下駄箱の鍵を外して中からブーツを取り出し、足をいれた瞬間。ふわっ、と足の裏で何かを踏んだ。

白い花弁が一房、靴の中に入り込んでいた。真っ白な、今切り取られたばかりのような瑞々しさを保って、入り込んでいた。

靴箱に入れた時は無かったはずである。しかし説明はつかず、私が気がつかなかっただけだろうという話をして、笑った。
二週間後、木棺に入れられて、父が帰ってきた。

顔の部分だけガラスで縁取られており、肩から下を見ることはできなかった。水にぬれた顔は青白く、細かい傷が付いていたが、大きな怪我はなかったためにすぐに父だと分かる。遺体に触る事はできなかった。触りたい。触りたい。ほんの少しでいいから。

 棺の中に隠れている、身体があるはずの方向に視線をやり、目を見張った。

胸の上に、白い花が添えられていた。それは靴の中に入っていた、あの白い花と同じものだった。

父を思い出すとき、あの白い花を思い出す。足の裏で感じた、冷たさと柔らかさを。そのたびに最後まで触れる事のできなかった父の濡れた皮膚を思い、3月のひんやりとした白さと重なり、ああ、崩れたとしても触れておきたかった、と、思う。