こなこ『あなたさま、あなたさま』

 あなたさま、あなたさま。一六の春の夜。東京からいらしたあなたさまのご寝所に、すうっとすべりこんだのはわたくしでございます。あなたさまの透きとおるような白い肌に、書きものをされる指先の凛としたたたずまいに、はしたなくも前後もしらず、吸いよせられるようにおもむいていったのはこのわたくしでございます。そうしてあなたさまに触れられて、撫ぜられて、わたくしのからだは目覚めていったのでございます。そら、ここも、ここも、そしてここも、そこも。あなたさまのもたらす深い深いよろこびを欲して、こんなにも昂ぶりつづけているのがおわかりになりますか。あなたさま、あなたさま。都会者は信用ならね。そんな言葉をくりかえし聞かされて育ったわたくしでございますが、ええ、ええ、もちろんわかってございます。あなたさまがそのようなかたでないことを。すがりつくわたくしの両脚をへし折り、あの谷底へと棄てていったことも、すべてはわたくしを守るため。わたくしを村の男たちのなぐさみものにしないためのあたたかい配慮でございましょう。ええ、ええ、もちろん、わたくしだけがわかってございます。なんていとおしいかた。おかげでわたくし脚は少々不自由になりましたけれども、薄桃色のすべらかな肌も、たっぷりとつやをたたえる黒髪も、ゆたかにうるおいつづけるそこも、すべてあなたさまとの夜のままでございます。ですから、あなたさま、あなたさま。わたくしをみたしてやまないあなたさま。あれから幾度となく季節がゆき過ぎましたが、あなたさまがこの村で見聞きしたことをしっかりまとめあげ、立派な学者さまになられて東京から迎えにきてくださる日を、わたくしずっとずっといい子にして待ちつづけているのでございます。ですから、ねえ、あなたさま、あなたさま。わたくしを目覚めさせるただひとりのあなたさま。さっさとおめのそれこっちゃ寄こせ。ぐぢゃぐぢゃに噛みちぎって食う。

国東『等高線』

 イヤホンが壊れたみたいに遠く近く、蝉の声が内耳で反響する。高い木立の中、木漏れ日がうるさいくらいだ。ゆうくんが今日はじめて振り返りぼくに「だまっているように」というジェスチャーをした。ぼくらは山道を上がって行く。ゆうくんの青いTシャツの背中には、ねずみの顔に似た汗じみができている。
 季節外れの椿がぼくらを覗き込むように咲いている。かれらは確かに、植物らしくじっとしているのに、黄色い花糸が常にこちらを向いているのだ。ぼくの不連続か瞬きの間に、かおをすっとを曲げてしまうようだ。かれらの中心から伸びた見えない糸を引っ張っているような感じた。世界を凧のように引いているのだ。
 椿が地蔵に変わってもぼくらは緊張を保ち続けた。地蔵は山道の脇にぎゅうぎゅうと肩を並べものめずらしげな表情でぼくらを見上げている。かれらは押合って、小さな頭を重ねて、ぼくらを目でカチカチと追っていた。
 ゆうくんの背中のしみはすっかり大きい。広げた傘を上から見るようだ。それはくるくるご機嫌に、見ない間は回っているように思えた。前方の木の上にたくさんの山犬がいた。かれらは前脚に顎を乗せたり幹に頬を寄せたりしてみな眠っていたが、決まって口を開いていて、その黒い額縁の中にはまた小さな山犬があるのだった。柔らかい舌で小さなかれの背を押している。時には夢のように舐めているし、今にも溢れそうなのもある。木の下を通り過ぎるとかれらの尻尾がすべて糾弾するようにぼくらを指した。
 金魚がいて、テトラポットがあり、イタチがいて、よくわからない緑色のマグカップのようなものが続いた。それはきっと道順だから、あとでメモしようと思ったが三十を越えたあたりからわからなくなった。ゆうくんと違ってぼくは頭が悪いのだ。ぼくらはかれらの中心線を引っ張り続け世界は次第に暗くなっていった。

鬼頭ちる『ジン』

 両親の馴れ初めを想う時、つい頬がゆるんでしまう。
 今から五十年ほど前、当時の父はまだ浪人生だった。ある雷のひどい日、一匹の猫が道端に倒れていたという。可哀想に、もしかして雷にやられたのか? 父は猫を連れて帰り、懸命に看病してやった。ここからが、ちょっと変わっていた。
 父はしばらくその猫と暮らすことになるのだが、何と猫は、”自分は猫ではない”と云い、筆記で会話をしてきたという。云われてみれば、猫よりだいぶ手足が長い。他にも幾つか猫とは違う特徴があり、父が”ではお前は何だ?”と訊ねると、猫もどきは自分のことを「ジン」とだけ名乗った。
 そんなジンは父の合格発表の日、突然いなくなった。出会った時と同じ、雷の日だったという。それから社会へ出た父は、何気なく立ち寄った博物館で、母と出会った。それは折しも、硝子の向こう側でミイラが微笑んでいた場所だった。
 母はちょっと変わった趣味を持つ女性で、今でいうところの『ミイラガール』だった。日本全国の、特に妖怪のミイラを観賞するのが何より好きだったという。そんな不思議な魅力を持つ母に父は、急速に惹かれていった。
「ねえ、宮沢賢治で有名な岩手の花巻に、《雷神のミイラ》があるそうよ。行ってみない?」母の眼が少し潤んでいた。
 雄山寺に祀ってあった”それ”を一目見るなり、父は”これはジンだ!”と直感したという。そして心の中で話しかけた。”ジン、ジン。お前、雷神だったのか”。その時、感動で震える父に、母はそっとこう云った。
「大丈夫。ジンは今幸せよ」実は父は、母にジンのことを話したことはなかったという。二人はその後、夫婦となった。
 今は亡き母は、雷が好きな人だった。普通なら怖くて逃げるのに、いざ雷の音を聞くと「充電してきます!」と外へ飛び出していくのだ。もっとも娘の私は、コンセントから直に頂くのが好きだけど。

宇津呂鹿太郎『二人の家』

 祖母が亡くなったのは冬が始まる日の朝だった。九十二歳だった。
 葬儀は祖母が長年住み続けた家で行われた。先に逝った祖父が二十代の頃に建てた家だ。所有していた山を切り開き、柱を立て、床を張り、屋根を葺いて、文字通りほとんど一人で建てた家だった。電気や水道も自分で引いたという。現代の大阪育ちの私には俄かには信じられない話だが、荒削りな家の柱や、家へと立ち並ぶ電柱の高さがまちまちなのを見ると、それが真実であることが分かる。
 その家は私の父と叔母にとっての生家でもあった。父も叔母も、大人になると働くために町に移り住んだ。祖父が亡くなってから、父は祖母にその家を出て一緒に暮らそうと何度か言ったことがある。だが祖母は「おれはどこにもいがね」の一点張り。頑固さにかけては誰にも負けない祖母だった。
 葬儀の後、親戚らと夜遅くまで祖母の思い出話に花を咲かせた。やがて皆それぞれ家路に就いたが、遠方から来ていた私と父、叔母の三人は、そこに泊まることにしていた。
 最後の一組を見送り、部屋に戻るといつの間に入ってきたのか、時期外れの蜂が一匹、天井の辺りを飛び回っている。叔母が窓を開けて蝿叩きで蜂を追い回していると、突然灯りが一斉に消えた。慌てて懐中電灯を探し、ブレーカーを確認したが異常はない。停電か。止むを得ず懐中電灯を頼りに布団を敷いて寝た。蜂のことはすっかり忘れていた。
 次の日の朝、外に出ると家のすぐ近くの電柱が一本、真ん中からぽっきりと折れており、電線が切れてしまっていた。
 家は暗く静まり返っている。私にはまるで家も死んだように思えた。その時初めて、家を出るのを頑なに拒んでいた祖母の気持ちが私にも理解できた気がした。
 現在、祖母の家には誰も住んでいない。
 たまに窓から灯りが漏れているのを見たという話を聞くが、真偽の程は定かではない。

鬼頭ちる『猫道雪』

 毎年、故郷の雪が深くなっていくような気がする。帰郷の為、駅に降りたった時にはもう、ちらほら雪が舞っていた。
 それにしても妙だった。なぜか足が重いのだ。歩いても歩いても、一向に進まない。空は暗く、いつしか吹雪に変わり、視界は完全に遮られ、時々意識も遠くなる……。
 その時だった。遥か前方に、ぽっかりと黒い小さい玉が浮かんでいたのだ。それは右に左に揺れながら、猛吹雪の中を軽やかに進んで行く。私は必死になってその玉を追った。
 追いかけて追いかけて、汗だくになって、いつの間にか足も軽くなって、やっと追いついた時、その正体が分かった。
 それは、猫のしっぽの先だった。真っ白なその猫は、尾の先だけがまるで目印のように黒く染まっていた。そしてよく見ると、体が宙に浮いていた。嘘じゃない。本当にその猫は、雪の上にフワリと浮かんでいたのだ。
 一度も振り返らず、ただ黙々と歩き続けた猫は、やがて町のトンネルに入ると、すーっと煙のように消えてしまった。
 思わず祖母に話すと『猫道雪』という言葉が返ってきた。
 東北の冬は長く、厳しい。そんな環境の中で、暖かい毛と愛らしい仕草を持つ猫は、雪国に住む人々にとっては生きた宝物だ。人間も幸せ、きっと猫も幸せ。でも、これまでぬくぬくと生きてきた猫は、その人生の最後にはやはり雪国の猫らしく、己の死期が冬と悟ると、あの『猫道雪』を通ってあの世へと旅立つのだそうだ。私が見たのは、まさにその瞬間だった。
 やがて春が来て、夫が子猫を拾ってきた。その猫は真っ白で、でもしっぽの先が黒く染まっていた。そしてよく見ると、頭にもまるでおかっぱのような黒い模様がついていた。
「あらあなた、前はそんな柄だったのね」コタツに入ろうとする子猫のしっぽを、私は慌てて掴んだ。「だめよ。コタツはもうしまうの。春なんだから」

鬼頭ちる『救出』

 よくある話だった。婚約者が浮気し、その相手が無二の親友だった。奴らは自分たちこそ“真実の愛“だとか”運命だった“とか現を抜かし、平然と私の元を去っていった。
『死ねばいいのに。地獄におちろ。不幸になれ』私は唱えた。
 それから私は、誰ひとり待つ者のいない東北へ帰った。就職し新しく始まった生活は、これまでの私を何ひとつ変えなかった。私は、あの言葉を絶えず繰り返し、生きた。
 だからあの時、避難せずひとり残っていた事務所に冷たい海水が入ってきても、怖くなかった。それどころか、己の死の瞬間にまで必死に唱えた。意識が遠のいていく。
『死ねばいいのに……地獄におちろ……不幸になれ……』
「わかりますか? おい、生きてるぞ!」男性の、はっきりした声が聞こえる。そっと目を開けると、目の前にあの男の顔があった。私を裏切った男の顔。咄嗟に振り払った。
「落ち着いて」「もう大丈夫ですよ」「寒くないですか?」
 何なんだ? これは夢なのか? 夢なら、非道い悪夢だ。だって、子供も大人も老人も、男性すべてがあの男の顔をしているのだ。女性も、こともあろうにすべてあの憎い女の顔に見える。もう気が狂いそうだ。私は次々に差し出される数多くの手を、頑なに拒否し続けた。しかし、どうしてだろう。彼らは、とてもやさしかった。
 やがて冷静さを取り戻した私は、やっと気づいた。そうだ、奴らがここにいるはずがない。これは幻覚だ。そうだ、何か言わなくては。そうだ、大切なあの言葉を伝えなくては。
『ありがとう』その瞬間、男性からあの男の顔が消えた。
『ありがとうございます』女性にそう伝えると、あの女の顔もすっと無くなり、本当の顔が無言で抱きしめてくれた。
 あれから私の世界は変わった。たまに思い出す悪夢も、夫と子供の笑顔で消え失せる。汚い言霊も美しい言霊も、私を救出するのにきっと必要だったのだ。

敬志『逃げ童』

「座敷童って住み着くとお金持ちになるんじゃなくて、お金持ちの家を掛け持ちで回ってるんですって」
 名門A女子大の学生から聞いた話だ。
 他校の生徒の論文で読んだという。
 
 この家に来てから随分と経つ。居心地は悪くないが、やはり仕来りは守らなくてはいけない。雪が降り始めれば動けなくなる。幸い今日は何故だが人の気配がない。床の間を下りて寝床を覗く。夏に生まれたぼこが私を見て笑った。名残り惜しいが仕方が無い。表座敷に移り縁側に出る。みちみちとしなる板張りをゆっくりと進む。御庭の向こうの蔵が増えていた。知らぬ間に家は大きくなっているようだ。ここから出られれば楽なのだが決まりでそれは出来ない。茶の間から一旦常居へと戻る。炉で熾火が赤々と燃えているのにここにも人はいない。土間に下り小厩から梁に登り様子を伺う。まっこが不安そうに嘶いている。屋根の隙間を雪がちらついていた。時間は無さそうだ。梁から飛び下り厩の向 こうに埋められた千切れた河童の子達を踏みつけ一目散に駆け出した。誰も追っては来ない。そのまま坂を下り祠のある四つ辻まで走った。ここで何処に行くのか決めなくてはならないが随分と前のことなので思い出せない。突然祠の影から人が飛び出し私を抱きすくめた。途端に人影は苦鳴を上げて大きく仰け反り、私はうっすらと雪の積もった田圃へ放り出された。背後で怒声が上がった。祠の影から叫びと共に大勢の人が飛び出した。辻の四方から人々が押し寄せる。私は泥を耳に詰め込み体を丸めた。その背なで男と女と年寄りと子供の怒号と悲鳴が渦巻き、焦げ臭い熱気が一晩吹き荒れた。
 三軒の分限者の家が燃え、二軒の家族が村を追われた。
 元座敷童だった老人から採取と、その論文には記されていたらしい。