猫吉『座敷婆子』

 俺が三十代の頃、会社の休暇を利用して、岩手県まで渓流釣りに出かけた。
 最初は野宿をしていたが、何日かすると人恋しくなった。山を下り、車を走らせていると、旅館を見つけたので、そこで一泊することにした。
 安いだけが取り柄の古びた旅館で、それでも風呂に入るとさっぱりとした。寝る前にこっそり持ち込んだ焼酎を飲むと、もう良い気持ちになってすぐに眠りに落ちた。
 夜中に目を覚ますと、体が動かない。誰かが、俺の顔をのぞき込んでいる。じっと目をこらすと、月明かりに照らし出されて、坊主頭の老婆が見えた。怖いというよりは、祖母を思い出して、懐かしい気分になる。
 婆さんは布団の中に潜り込んでくると、体の自由がきかない俺を道具のように弄んだ。気がついたら朝になっていた。

 十年ほど経ってから、また岩手に釣りに行った。あの時のことを思い出して、例の旅館に泊まることにした。覚えのある旅館にたどり着くと、雰囲気が違う。改築したのか前よりもきれいになっている。
 フロントに行くと、満員で宿泊は無理だという。昔泊まった時には、ガラガラだったけどな――俺の言葉に、女将が笑って答えた。
 この旅館には可愛い座敷童が住んでいて、それを目当てに客が来るから、予約でもしないと無理、というのだ。
 どうしようかと考えていたら、いつもの癖が出て耳たぶを触っていた。
 女将は俺の顔をまじまじと見つめ、何かに驚いたように大きく口を開け、あわ
てたように手で口を覆った。それから急に冷淡な態度になった。
 結局、宿に泊まれなかった俺は、いつものように野宿をしながら考えた。座敷童に中・老年の男性はいないらしい。で、その理由がわかったのさ。